練馬大鳥神社|鶴の霊を祀って創建
練馬大鳥神社の概要
練馬大鳥神社は、練馬区豊玉北にある大鳥神社です。練馬大鳥神社は、正保2年(1645)三羽の鶴が飛来し保護したものの、死んでしまったことから鶴の霊を祀り創建したといいます。
社号 | 練馬大鳥神社 |
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祭神 | 天之日鷲命、鶴霊神 |
境内社 | 金銀大天明神社 |
相殿 | - |
祭日 | 酉の市11月 |
住所 | 練馬区豊玉北5-18-2 |
備考 | - |
練馬大鳥神社の由緒
練馬大鳥神社は、正保2年(1645)三羽の鶴が飛来し保護したものの、死んでしまったことから鶴の霊を祀り創建したといいます。
「練馬の神社」による練馬大鳥神社の由緒
社伝によると、正保2年(1645)、中荒井村に三羽の鶴が飛来し、村人は瑞祥なりと歓喜して保護したが、後に開村の旧家森田文庵の邸内で死んだ。そこで村人は鶴は霊鳥なので小祠を造りその霊を祀った。後世、社殿を当地に建立し、和泉国堺の一の宮大鳥神社の分神を勧請して合祀したのが当社の起源であるとされる。
これより、近隣の人々の崇敬篤く、11月酉の市が立って大変賑わっている。
境内の石造物では、明治6年(1873)の神名碑と10年(1877)の神社名碑が最も古い。現在の社殿、神楽殿は鉄筋コンクリート造りで、ともに昭和59年に改築したものである。
なお、境内には石造の薬師如来の小祠がある。舟形光背浮彫の座像で、「安永5年6月16日、矢嶋源八造」の陰刻があるが、当社とは直接関係がない。もと豊玉北5-23の往来に面したと所に立っていた。いつ頃この境内に移って来たかは不明である。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による練馬大鳥神社の由緒
正保二乙酉年(一六四五)、当地中荒井村に三羽の鶴が飛来した。村人瑞祥なりとして厚く保護したが、のちに開村の旧家森田文庵の邸内にて死んだ。鶴は霊鳥のゆえをもって役人検視の末村預りとなった。村人、その霊を祀り、小社を、営み、あわせて和泉国一の宮大鳥大社の御分神を勧請して奉斎したのが創建の起源である。また本村落近郷の諸衆の崇敬篤く、特に近年土地発展とともに、十一月酉の日の祭礼は神賑盛大である。(「東京都神社名鑑」より)
練馬大鳥神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」