土支田北野神社|関口家の守護神として慶長年間に創祀
土支田北野神社の概要
土支田北野神社は、練馬区谷原にある北野神社です。土支田北野神社は、関口勘右衛門が関口家の守護神として慶長年間(1596-1615)に創祀したといい、後に土支田村字三丁目の守護神として崇敬されたたといいます。
社号 | 北野神社 |
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祭神 | 菅原道真公 |
境内社 | 御嶽神社、稲荷神社 |
相殿 | - |
住所 | 練馬区谷原6-20 |
備考 | - |
土支田北野神社の由緒
土支田北野神社は、関口勘右衛門が関口家の守護神として慶長年間(1596-1615)に創祀したといい、後に土支田村字三丁目の守護神として崇敬されたたといいます。
「練馬の神社」による土支田北野神社の由緒
「年不詳(明治九年か)第八大区八小区下土支田村明細書上帳」に「北野神社小祠社地関口勘左衛門税地東西十四間南北十二間、面積百六十八坪村ノ南ノ方ニアリ、菅原道実命ヲ祭ル祭日十月廿五日境内大樹無之」とあるのが当社とされる。慶長年間(一五九六-一六一五)、関口勘右衛門が関口家の守護神として祀ったのが始まりである。後に字三丁目の人々が崇敬し、江戸中期には守護神とした。
境内石造物で古いのは、明治八年(一八七五)の水盤である。社殿は昭和五八年(一九八三)までに修理している。なお、鳥居落成参拝記念碑(大正九年)、宗教法人設立記念碑(昭和五八年)、御嶽山太々神楽講碑(明治四三年)がある。
内樹木は少ないが、社殿近くに大きな老松の切株が残されている。(「練馬の神社」より)
「東京都神社名鑑」による土支田北野神社の由緒
慶長年間(一五九六―一六一五)、関口勘右衛門が関口家の守護神として祀ったのがはじまりで、のちに下士支田村字三丁目の集落の人びとが崇敬し、江戸時代中ごろには、字三丁目の守護神として、崇め祀られるようになった。(「東京都神社名鑑」より)
土支田北野神社の周辺図
参考資料
- 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
- 「東京都神社名鑑」