良辨塚|練馬区中村の名所旧跡

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良辨塚|練馬区中村の名所旧跡

良辨塚の概要

良辨塚は、練馬区中村にある旧跡です。良辨塚は、南蔵院の中興第一世良辨僧都が延文2年(1357)3月21日に造立した塚です。造立当時は銅製の経筒が埋納されていましたが、江戸時代に塚を改修した際に経筒が取り出され南蔵院に保管、その後近くに祀られていた庚申塔や道標などの石造物が当地に移され、その中の「石幢七面六観音勢至道しるべ」は練馬区文化財に指定されています。

良辨塚
良辨塚の概要
名称 良辨塚
みどころ 史跡
入場時間 -
入場料 -
住所 練馬区中村3-11
備考 -




良辨塚

良辨塚は、南蔵院の中興第一世良辨僧都が延文2年(1357)3月21日に造立した塚です。造立当時は銅製の経筒が埋納されていましたが、江戸時代に塚を改修した際に経筒が取り出され南蔵院に保管、その後近くに祀られていた庚申塔や道標などの石造物が当地に移され、その中の「石幢七面六観音勢至道しるべ」は練馬区文化財に指定されています。

境内掲示による良辨塚について

良辨塚
良辨僧都は、南北朝時代の僧侶で、ここから五百メートルほど東にある南蔵院の中興第一世です。良辨は、二本各地の霊場を巡拝し、数百部にのぼる法華経(妙法蓮華経)を書き写して奉納して廻りましたが、最後にたどり着いたこの中村の南蔵院に滞留し、周辺の人々を教化したと伝えられています。
この塚は、碑文によると延文二年(一三五七)三月二十一日に建立されています。南蔵院は真言宗の寺院ですので、開祖である弘法大師(空海)が高野山で入定した承和二年(八三五)三月二十一日の月日に合わせて建てられたと考えられます。建立時に経筒(直径三センチ、高さ十センチで銅製の筒)が埋納され、江戸時代に塚を改修した後は南蔵院に保管されています。建立当時この場所は、鎌倉街道の一つに面しており、街道から南蔵院に入る角に経塚を築いて供養し、人々の幸せを願ったのでしょう。
なお、『新編武蔵風土記稿』に良辨僧都を永正年間の人と記しているのは誤りです。また奈良時代に東大寺の大仏造立に尽力した別当良辨僧正とは別人です。
敷地内にある庚申塔や道標などの石造物は、後にこの地に移されたものと考えられます。(練馬区教育委員会掲示より)

「北豊島郡誌」による良辨塚について

名勝及舊跡
【良辨塚】南蔵院の條下新編武蔵風土記稿の文中にいへるもの是なり、經典を埋めし塚なりといふ、古碑一基立てり、年月も彫らず、時代明ならず。(「北豊島郡誌」より)


良辨塚の周辺図