花岳山法音寺|麻布今井谷に創建、昭和36年当地に移転
法音寺の概要
曹洞宗寺院の法音寺は、花岳山と号します。法音寺は、高輪泉岳寺の第四世門解蘆関和尚が隠居寺として寛永8年(1631)麻布今井谷(現港区六本木三丁目)に創建したといいます。太平洋戦争で被災、昭和36年(1961)、当地に移転したといいます。
山号 | 花岳山 |
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院号 | - |
寺号 | 法音寺 |
住所 | 練馬区土支田4-23-25 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
法音寺の縁起
法音寺は、高輪泉岳寺の第四世門解蘆関和尚が隠居寺として寛永8年(1631)麻布今井谷(現港区六本木三丁目)に創建したといいます。太平洋戦争で被災、昭和36年(1961)、当地に移転したといいます。
「練馬の寺院」による法音寺の縁起
花岳山法音寺
文政十年(一八二七)の『寺社奉行書上』によれば、本寺にあたる芝高輪泉岳寺第四世門解蘆関和尚が隠居のため寛永八年(一六三一)麻布今井谷(現港区六本木三丁目)に当寺を起立し開山になったとある。また同書上には、文政年間(一八一八~三〇)まで三度の火災に遇い、記録は定かでなく、開基もなしと記されているが、水村家(畳職だが苗字帯刀を許されていた)が中興開基であると伝えられる。
もとは国学者斉藤彦麿、刀匠井上六兵衛、剣道家長沼小四郎等の墓があったが、昭和二十年(一九四五)の空襲で講堂、本尊、過去帳ともに焼失している。
昭和三十六年(一九六一)、当地に移転してきた。移転当時の檀家数は二十戸程であったが、現在は二百戸余りとなり練馬区及び近在の家が主となった。寺観も整備されてきた。(「練馬の寺院」より)
「麻布區史」による法音寺の縁起
花岳山法音寺 今井町一九
芝泉岳寺末、本尊釋迦 寛永八年四月泉岳寺四世門解魯關和尚(承應三年二月十三日寂)の起立になる。左の名家の墓がある。
斎藤彦麿 國學者 歌人、石見國濵田藩士、本姓萩野氏、通稱九郎又小太郎と云ひ後彦六郎を稱す。初名智明、可怜と號し別に葦假菴、修陽老園、宮川舎等と號した。有職故實を伊勢貞丈に、古學を本居宣長に學んだ。鰻を好食したところから時人鰻先生と呼んだといふ。安政六年三月十二日奥州棚倉に歿した。年八十七。法諡義岳了忠信士。
手柄山甲斐守 刀匠。播州手柄山の人、奥州白河藩に仕ふ。初名氏繁、後正繁、通稱井上六兵衛、手柄山朝七とも稱した。姫路の刀工丹霞氏繁の男、過去帳に文政十年四月二十四日病没、年七十一とあるも、碑文には文政十二年七月五日歿とある。法號大法弘道信士。
長沼宗郷 剣道家。通稱小四郎、天明二年六月十二日歿、年三十七、法名泰賢院餘心浄英居士。(「麻布區史」より)
法音寺の周辺図
参考資料
- 練馬の寺院(練馬区教育委員会)
- 「麻布區史」