金乗院阿弥陀堂|練馬区北町にある真言宗豊山派寺院

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金乗院阿弥陀堂|石阿弥陀堂

金乗院阿弥陀堂の概要

金乗院阿弥陀堂には、天和2年(1682)銘の北町聖観音座像があり、また当時の史料にも記述が見られることから、江戸時代には既に在ったものと考えられます。

金乗院阿弥陀堂
金乗院阿弥陀堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 阿弥陀堂
住所 練馬区北町2-18
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



金乗院阿弥陀堂の縁起

金乗院阿弥陀堂の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に清性寺持ちの堂宇として記載され、千川用水を元禄9年(196)に完成させて立家した千川家累代の墓所となっていたといいます。明治維新後に清性寺は廃寺となり、清性寺の本寺であった金乗院が管理をしています。

境内掲示による金乗院阿弥陀堂の縁起

阿弥陀堂と千川家墓所
この阿弥陀堂は、『新編武蔵風土記稿』に「阿弥陀堂二、一ハ金乗院持、一ハ清性寺持ニテ弥陀ハ春日の作ナリ」とあるうちの後者に当たります。清性寺は明治に廃寺となり、金乗院と合併しました。本堂の半鐘は天保十四年(一八四三)のものです。銘文に「神明山清性寺持阿弥陀堂」と記されています。
墓地には千川家累代の墓があります。千川家は千川上水開設の功労者として知られています。
千川上水は元禄九年(一六九六)、江戸下町方面の飲料水として玉川上水から分水された水道で、工事には徳兵衛・太兵衛の二人が当たりました。私費を投じて工事を完成させた功績により、両人は幕府から名字帯刀を許され、千川家の姓を賜りました。
開通から十年後の宝永四年(一七〇七)、上水は付近二十か村の農民の願いで、灌漑用水として利用できるようになりました。両人の子孫は代々下練馬村(現在の北町)に住み、千川用水の取締役として維持管理に努めました。
この墓所には初代徳兵衛から数えて三代目の源蔵以下四代善蔵、五代仙輔、六代民蔵、七代右保などの墓が建っています。
練馬区登録文化財
〇千川家の墓
〇阿弥陀堂の半鐘(練馬区教育委員会掲示より)


金乗院阿弥陀堂所蔵の文化財

  • 千川家の墓
  • 阿弥陀堂の半鐘


金乗院阿弥陀堂の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)