迎接院|練馬区練馬にある浄土宗寺院

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田島山迎接院|練馬十一ヶ寺の一

迎接院の概要

浄土宗寺院の迎接院は、練馬十一ヶ寺の一です。寛文年間(1661-1673)に清蓮社久誉接阿浄可比丘が、田島山誓願寺の塔頭として創建したといいます。関東大震災後当地へ移転しました。

迎接院
迎接院の概要
山号 田島山
院号 迎接院
寺号 -
住所 練馬区練馬4-25-6
本尊 阿弥陀如来
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 檀家の方、入檀する方のみ
備考 -



迎接院の縁起

迎接院は、寛文年間(1661-1673)に清蓮社久誉接阿浄可比丘が、田島山誓願寺の塔頭として創建したといいます。関東大震災後当地へ移転しました。

御府内寺社備考による迎接院の縁起

迎接院、境内318坪9合9勺余
当院起立之年者寛文元辛丑年八月十六日二建ト申事御座候得共、由緒書等ハ明和九辰年焼失仕、一向相分不申侯。
開祖清蓮社久誉接阿浄可比丘、寛文六午年二月廿五日寂。
本尊阿弥陀如来、脇士観音、勢至。
来迎廿五菩薩 恵心作。
善導大師座像、円光大師座像。
唐鋼阿弥陀如来座像、長5尺、石台座高サ3尺4寸5分、輪後光2尺8寸。
右者当寺墓所有之。後光之裏二銘御座候。
銘文左之通。
奉鋳建弥陀像一躯武陽豊島郡江北東隅蘭若浅草田島山快楽院田島山誓願寺常念仏堂一万日回向仏
施主
鎌倉屋一族
念仏講中敬白
貞享四丁卯年三月十五日
勢州津住辻越後守嫡子陳種作。(御府内寺社備考田島山田島山誓願寺項より)


迎接院所蔵の文化財

  • 小野蘭山墓および墓誌(都指定有形文化財・練馬区登録有形文化財)

小野蘭山墓および墓誌

江戸中期の著名な本草学者。本姓は佐伯氏、名は職博、字は以文、通称は喜内、号を蘭山または朽匏子という。
享保14年(1729)京都に生れた。延享元年(1744)松岡恕庵について本草学を学んだ。本草学は、中国で発達し、日本では江戸時代に最も盛んになった学問である。薬草をはじめとする薬物研究にとどまらず博物学の色彩が濃い。25歳のとき江戸に移り、幕府の医学館で本草学を講じた。また、幕命により享和元年(1801)から文化2年にかけて採薬のため諸国を巡り、それらの結果を採薬記に纏めている。享和3年(1803)に上梓された「本草綱目啓蒙」は、日本における最大の本草文献であり、後の博物学の発達にも大きな影響を与えた。また方言資料としても貴重である。文化7年(1810)正月27日82才で没した。墓所は浅草田島山誓願寺の塔頭迎接院にあったが、震災後の区画整理により改葬され現在地に移転した。(練馬区教育委員会掲示より)


迎接院の周辺図

参考資料

  • 御府内寺社備考
  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)