桂徳院|練馬区桜台にある臨済宗大徳寺派寺院

猫の足あとによる東京都寺社案内

桂徳院|滝川壱岐守正利が建立、昭和30年当地に移転

桂徳院の概要

臨済宗大徳寺派の桂徳院は、広徳寺の塔頭で、滝川壱岐守正利が慶長7年(1602)に建立し香華所としました。明治に入り泰樹院、梅雲院を合併、大正12年(1923)震災で焼失後、当地へ徐々に移転し、昭和30年(1955)現在地に完成しました。

桂徳院
の概要
山号 -
院号 桂徳院
寺号 -
住所 練馬区桜台6-20-18
宗派 臨済宗大徳寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



桂徳院の縁起

桂徳院は、滝川壱岐守正利が慶長7年(1602)に建立し香華所としました。明治に入り泰樹院、梅雲院を合併、大正12年(1923)震災で焼失後、当地へ徐々に移転し、昭和30年(1955)現在地に完成しました。

「練馬の寺院」による桂徳院の縁起

当院は、滝川壱岐守正利が滝川下総守雄親の菩提所として、慶長7年(1602)に建立し香華所とした。寛永12年(1635)蒲岩和尚が再興したが、安永6年(1777)に焼失、明治に入り泰樹院、梅雲院を合併、大正12年(1923)震災で焼失、昭和30年(1955)現在地に完成した。(「練馬の寺院」より)

「下谷區史」による桂徳院の縁起

桂徳院(北稲荷町五四番地)
京都大徳寺末、本尊釋迦如来。慶長十七年神田昌平橋内廣徳寺内に瀧川壹岐守正則が、亡父羽柴下總守雄親のために創建し、廣徳寺第三世州甫を開山と爲した。寛永十二年廣徳寺と共に下谷に移つた。その位置は同町五十五番地に當り、現地番には明治三十六年市區改正に際して當局の許可を受け、同三十九年五月移轉を完了したのである。廣徳寺の菊池五山、大内熊耳、小野おづう等の墓は當院の管するところであつた。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による桂徳院の縁起

桂徳院
開祖前大徳州甫禅師本坊三世
開基桂徳院殿前刑部卿法印三英周傑庵主、俗名羽柴下総守雄親。慶長十五年庚戌二月廿六日卒。
本尊釈迦。
鎮守天満宮。(御府内寺社備考より)


桂徳院の周辺図

参考資料

  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)
  • 「下谷區史」
  • 御府内寺社備考