羽田神社|領主行方与次郎が牛頭天王社を勧請、羽田富士
羽田神社の概要
羽田神社は、大田区本羽田にある神社です。羽田神社は、小田原北条氏が当地附近を治めていた頃に領主行方与次郎が牛頭天王社を祀ったことにはじまります。江戸時代には、旧羽田村(本羽田)・旧羽田猟師町(羽田)の鎮守となっていました。明治維新の神仏分離により、八雲神社と改称、明治40年に羽田神社と改称しています。拝殿右奥には、大田区文化財ともなっている富士塚(通称羽田富士)があります。
社号 | 羽田神社 |
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祭神 | 素盞嗚尊、稲田姫尊 |
相殿 | - |
境内社 | 鈴納稲荷神社、増田稲荷神社、日枝神社、羽田稲荷神社 |
祭日 | 例祭日7月第一土・日曜日 |
住所 | 大田区本羽田3-9-12 |
備考 | 旧羽田村・旧羽田猟師町の鎮守、旧村社、境外御旅所:羽田神社別宮 |
羽田神社の由緒
羽田神社は、小田原北条氏が当地附近を治めていた頃に領主行方与次郎が牛頭天王社を祀ったことにはじまります。江戸時代には、旧羽田村(本羽田)・旧羽田猟師町(羽田)の鎮守となっていました。明治維新の神仏分離により、八雲神社と改称、明治40年に羽田神社と改称しています。
「大田区の神社」による羽田神社の由緒
小田原北条の頃、領主行方与次郎が牛頭天王社を祀ったのに始り、徳川、島津、藤堂家等の崇敬厚く、明治元年神仏分離のとき、八雲神社として独立、明治40年8月羽田神社と改称。(「大田区の神社」より)
新編武蔵風土記稿による羽田神社の由緒
羽田神社については、新編武蔵風土記稿羽田村自性院項に牛頭天王社として記されています。
牛頭天王社。境内にあり。除地9畝2歩免田1段1畝22歩。当村及猟師町の鎮守なり。本社1間四方、拝殿3間に2間。鳥居2基たてり。神体は本地佛薬師如来の立像なり。長3尺許り。稲毛領平村の八幡神主小泉氏社役をつとむ。祭礼は6月6日より11日まで、神輿を渡せり。
稲荷社。社地の内にあり。尤小祠。(新編武蔵風土記稿羽田村自性院項より)
羽田神社所蔵の文化財
- 富士塚(大田区指定有形民俗文化財)
富士塚
富士塚は、富士山の信仰団体である富士講の講員たちが、その年実際に富士山に登れない者のために、富士山を模して築いた人造の小山である。
江戸中期安永(1772-1780)のころから、この習俗が、関東を中心として各地におこった。
俗称「羽田富士」と呼ばれるこの塚は、明治初年に築造されたもので、本区唯一の存在である。
近年まで、毎年7月1日の山開きには、この塚に羽田富士講の講員が登詣する習俗が残っていた。(大田区教育委員会掲示より)
羽田神社の周辺図