常榮山自性院|玉川八十八ヶ所霊場
自性院の概要
真言宗智山派寺院の自性院は、常榮山本覚寺と号します。自性院は、慈性(平治元年1159年寂)が開基となり創建したと伝えられます。恵麻法師(永禄2年1559年寂)が中興、境内の牛頭天王社は江戸時代に羽田村・羽田猟師町の鎮守となっていました。牛頭天王社は、明治維新後羽田神社として分離、現在境内に残されている牛頭天王堂は大森の弁天神社(三輪厳島神社)より昭和4年に移築したもので、文久元年(1861)に建築されたといいます。玉川八十八ヶ所霊場78番、東海三十三観音霊場25番です。
山号 | 常榮山 |
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院号 | 自性院 |
寺号 | 本覚寺 |
本尊 | 木造薬師如来立像 |
住所 | 大田区本羽田3-9-10 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場78番、東海三十三観音霊場25番 |
自性院の縁起
自性院は、慈性(平治元年1159年寂)が開基となり創建したと伝えられます。恵麻法師(永禄2年1559年寂)が中興、境内の牛頭天王社は江戸時代に羽田村・羽田猟師町の鎮守となっていました。牛頭天王社は、明治維新後八雲神社(のち羽田神社)として分離、現在境内に残されている牛頭天王堂は大森の弁天神社(三輪厳島神社)より昭和4年に移築したものだといいます。
「大田区の寺院」による自性院の縁起
寺伝によれば開基は慈性(平治元年7月20日寂)と伝えられる。9世恵朝(永禄2年4月13日寂)の時、寺運栄えたので、当寺の中興開山という。安政5年(1858)いわゆる自性院火事により、諸堂焼失した。その後復興につとめ、明治42年(1909)に本堂建立、大正2年(1913)庫裡を改築、昭和4年(1929)年頭天王堂を移築、昭和10年(1935)地蔵堂を建造した。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による自性院の縁起
自性院
除地4段3畝12歩、字西町の中央にあり、常榮山本覚寺と号す。高畑村宝幢院の末なり。本堂東向にて11間に7間なり。本尊は不動愛染の両明王なり。共に座像長3寸ばかり。開山は詳ならず、中興開山は法師恵朝といへりと。
牛頭天王社(現羽田神社)。境内にあり。除地9畝2歩免田1段1畝22歩。当村及猟師町の鎮守なり。本社1間四方、拝殿3間に2間。鳥居2基たてり。神体は本地佛薬師如来の立像なり。長3尺許り。稲毛領平村の八幡神主小泉氏社役をつとむ。祭礼は6月6日より11日まで、神輿を渡せり。
稲荷社。社地の内にあり。尤小祠。(新編武蔵風土記稿より)
自性院所蔵の文化財
- 牛頭天王堂(大田区指定有形文化財)
牛頭天王堂
外陣(旧拝殿)は入母屋造り銅板葺、向拝に軒唐破風を付け、その下に弁財天の彫刻が施され、各軒廻りに斗供をもつ。内陣(旧本殿)は切妻造り銅板葺。
文久元年(1861)、大森の弁天神社の社殿として建てられたが、昭和4年(1929)移築され、牛頭天王堂として転用されたものである。区内でも数少ない建築年代等の明確な建物であり、江戸時代末期の精巧な建築として価値が高い。
自性院には旧来、牛頭天王社が羽田の総鎮守としてまつられていたが、明治維新の神仏分離で、八雲社として独立し、さらに発展して隣接羽田神社となった。(大田区教育委員会掲示より)
自性院の周辺図