女塚神社|新田義興公憤死に際して侍女少将局を村民が創祀
女塚神社の概要
女塚神社は、大田区北蒲田にある神社です。女塚神社の創建年代は不詳ですが、新田義興公憤死の時の侍女少将局を村民が祀ったといい、新田義興が戦死した矢口渡の戦いが正平13年(1358年)であることから、南北朝時代の創建と推定できます。
社号 | 女塚神社 |
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祭神 | 誉田別命 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷神社、女塚霊神、白山社 |
祭日 | 例祭日8月15日 |
住所 | 大田区西蒲田6-22-1 |
備考 | 蒲田八幡神社の兼務社 |
女塚神社の由緒
女塚神社の創建年代は不詳ですが、新田義興公憤死の時の侍女少将局を村民が祀ったといい、新田義興が戦死した矢口渡の戦いが正平13年(1358年)であることから、南北朝時代の創建と推定できます。
「大田区の神社」による女塚神社の由緒
新田義興公憤死の時の侍女少将局忠節を尽くして共に害せらる、村民憐れみて、此の地に祀りしと云う。(「大田区の神社」より)
新編武蔵風土記稿による女塚の由緒
女塚
除地1畝6歩。村の南にあり。一坏の小墳なり。小笹雑木おひ茂りて寂々たり。村老のつたへに、往昔当所に長者あり。その女の死しけるとここに葬りしと。又云いづこの人とも知らず美婦人この地にて害せられしに、里人あはれみてここに埋めし印の墳なりと。かかるいひ傳へのみにて其年代もつたへず。とにかくさだかならぬことあり、村名の由来する所なれば、別にゆへある人の墓なるべし。(新編武蔵風土記稿より)
女塚神社の周辺図