嶺天祖神社|寛文年間に伊勢神宮を勧請、禰宜舞
嶺天祖神社の概要
嶺天祖神社は、大田区西嶺町にある天祖神社です。嶺天祖神社は、寛文年間(1661-1673)に嶺村の住人数人が、伊勢神宮へ参拝した時に授与された御神霊を、お祀りし太神宮として創建したといいます。伝統芸能の禰宜舞が例祭日の4月21日に行われているといいます。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭日4月21日 |
住所 | 大田区西嶺町4-10 |
備考 | - |
嶺天祖神社の由緒
嶺天祖神社は、寛文年間(1661-1673)に嶺村の住人数人が、伊勢神宮へ参拝した時に授与された御神霊を、お祀りし太神宮として創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による嶺天祖神社の由緒
(嶺村)太神宮
見捨地6畝、本村の北にあり。小祠、祭礼9月16日なり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による嶺天祖神社の由緒
天祖神社の栞
寛文年間(1661-1673)に嶺村の住人数人が、伊勢神宮へ参拝した時に授与された御神霊を、お祀りし創建しました。
昭和初期に、東調布第一小学校が木造校舎の一部を、建て変えた時の古材を譲り受けて境内に嶺町公会堂を建立、その中に社務所、嶺町々会事務所を併設して使用しておりました。戦時中にはこの公会堂に、大森区役所(現大田区役所)嶺町出張所が設置され、第二庁舎が新築されるまで、ここで事務を執っておりました。
昭和47年に都道環状八号線建設に伴い、境内が半分以下になりましたが、翌昭和48年に、本殿・鳥居・社務所を建立、参道・玉垣と境内整備も完了し現在に至っております。当神社には氏子区域はなく、崇敬者を以て維持されています。(境内掲示より)
「大田区の神社」による嶺天祖神社の由緒
不詳。(「大田区の神社」より)
嶺天祖神社所蔵の文化財
嶺天祖神社では、伝統芸能の禰宜舞が例祭日の4月21日に行われていますが、この禰宜舞は川崎市宮前区平白幡八幡大神など僅かとなってしまったといいます。
- 禰宜舞(川崎市芸能文化財)
禰宜舞
禰宜舞とは、現在では神職の位を意味しますが、十六世紀くらいまでは神職の総称でした。期限は詳かではありませんが、江戸中期頃といわれ、昭和十五・六年頃までは多摩川を中心に都下調布市から、川の両側の神社や、町の広場約二十ヶ所で舞われていましたが、戦後は東京側ではこの天祖神社一ヶ所です。(境内掲示より)
嶺天祖神社の周辺図