羽田山長照寺|池上本門寺第12世日惺開創
長照寺の概要
日蓮宗寺院の長照寺は、羽田山と号します。長照寺は、池上本門寺第12世日惺(1550~98)が大師橋付近に創建したといいます。明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失、明治12年(1879)現在地に移転再興しました。
山号 | 羽田山 |
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院号 | - |
寺号 | 長照寺 |
本尊 | 一塔両尊 |
住所 | 大田区本羽田3-14-7 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 長照寺会館を宗旨問わず開放 |
備考 | - |
長照寺の縁起
長照寺は、池上本門寺第12世日惺(1550~98)が大師橋付近に創建したといいます。明治11年(1878)の大洪水で諸堂宇を流失、明治12年(1879)現在地に移転再興しました。
「大田区の寺院」による長照寺の縁起
当寺は池上本門寺第12世日惺(1550~98)の開創である。往時は多摩川に臨み、大師橋の附近にあった。安政の大震災に大破、明治11年(1878)の大洪水には境内の諸堂宇・墓地ことごとく流失、明治12年(1879)現在地に移転再興した。さらに大正12年(1923)の大震災に諸堂倒潰、翌13年復旧。昭和20年戦災に山門を残して諸堂宇焼失したが、昭和39年(1964)現在の諸堂を建立した。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による長照寺の縁起
長照寺
除地2段3畝12歩。朗羽山と号す。法華宗にて、池上本門寺の末寺なり。開山は日惺聖人、慶長3年7月6日寂す。本堂は7間に6間、北向にて、本尊は三宝を安ず。又太閤秀吉の守本尊なりしとて、開運妙見大菩薩を安ず。相傳ふ此尊像は故あって秀吉より老臣増田右衛門尉に与へらる。彼が子孫ゆかりにつき此村に来り。世々土民となりてをれり。今の増田四郎兵衛が家是なり。其祖先某なるものかく民間に落下りて賤きとなりて、かかる霊佛を守護せしは恐れありとて、やがて此寺へ納めしと云。
鬼子母神堂。門を入て左にあり。堂は3間に2間半、木の立像にて長1尺2寸。(新編武蔵風土記稿より)
長照寺の周辺図