朗長山本住寺|大田区本羽田にある日蓮宗寺院
本住寺の概要
日蓮宗寺院の本住寺は、朗長山と号します。本住寺は、池上本門寺11世日現が当地付近に本住寺を創建、兵乱により荒廃したため、愛知郡東寺町(名古屋市中区)で再建、その後池上本門寺12世日惺(1550-98)が旧地に本住寺として建立したといいます。
山号 | 朗長山 |
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院号 | - |
寺号 | 本住寺 |
本尊 | 十界大曼陀羅 |
住所 | 大田区本羽田1-8-9 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | 朗長会館を宗旨問わず開放 |
備考 | - |
本住寺の縁起
本住寺は、池上本門寺11世日現が当地付近に本住寺を創建、兵乱により荒廃したため、愛知郡東寺町(名古屋市中区)で再建、その後池上本門寺12世日惺(1550-98)が旧地に本住寺として建立したといいます。
「大田区の寺院」による本住寺の縁起
当寺の開祖は池上本門寺12世日惺(1550-98)である。もとこの地にあったが、故あって尾張国へ移り、再びこの地に再建された。「張州府志」には、愛知郡東寺町にある本住寺は、もと武蔵国荏原郡六郷にあり、永禄3年(1560)六郷の城主、行方修理大夫および妹尾三河守らが創建し、池上本門寺11世日現の開祖。その後兵乱により荒廃したため、同国の清須に移し、またもとの地に移したと記している。「新編武蔵風土記稿」は開祖日惺というが、恐らくは中興であり、再び六郷の地に移した時のことであろうといっている。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による本住寺の縁起
本住寺
年貢地5畝7歩、西北の方西馬場高地と東馬場耕地との堺にあり。朗長山と号す。法華宗にて池上本門寺の末寺なり。開祖は佛乗院日惺聖人なり。慶長3年7月6日寂せり。此寺上古此地にありしを、一旦故あって尾張国へうつり、其後また此所に再造せり。かの国にも今に本住寺と云大寺ありといへり。尾州府志云、本住寺は愛知郡東寺町にあり。長寿山と号せり。法華宗にて池上本門寺の末寺也。元武蔵国荏原郡六郷にあり、永禄3年六郷の城主行方修理大夫及び妹尾三河守等力を合せて創建なし、本門寺11世日現上人をもって開山とせり。なかごろ兵乱のわざはいに遇ふて荒廃の後、尾州の人加藤某と云もの同国清須に移して堂舎をたつ。其後また今の地にうつせり。美濃尾張二国の池上派の司をなせりと云々、按ずるに彼書に云所と、この寺に傳ふ所と略同じといへども今も、尾張国に本住寺あるを以ておもへば、再び当国へ移せし後かの国にも猶本住寺ありて、是より、二寺となりしなるべし。ここに開祖は日惺上人といへど、恐くは中興にて、再び此地に移りし時のことなるべし。本尊は三宝祖師の木像にて、長6寸ばかりなり。本堂7間に6間東向。
七面堂。本堂の右にあり。3間に2間。本尊は木の立像にて、長7・8寸許なり。(新編武蔵風土記稿より)
本住寺の周辺図