喜昇山本成院|日蓮聖人の直弟子日向上人の庵室として開創
本成院の概要
日蓮宗寺院の本成院は、喜昇山と号します。弘安5年(1282)上の北谷の地に、日蓮聖人の直弟子日向上人の庵室として開創、その後東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併し再興されました。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになりました。
山号 | 喜昇山 |
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院号 | 本成院 |
寺号 | - |
住所 | 大田区池上1-35-3 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本成院の縁起
本成院は、弘安5年(1282)上の北谷の地に、日蓮聖人の直弟子日向上人の庵室として開創、その後東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併し再興されました。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになりました。
境内掲示による本成院の縁起
当院は山号を喜昇山、旧称は喜多院(北の坊)と称す。池上本門寺の旧塔頭支院です。 寺伝によりますと、当院は佐渡阿闍梨日向上人の開基なり。日蓮大聖人の直弟で六老僧の一人にして、弘安5年池上に御来向の砌池上右衛門大夫宗仲は草庵を造り、日向上人を住居せしめたといわれています。 当院は、はじめは池上の北谷の地、桐ヶ谷の北の端、とどめきという所にあって、北の坊または喜多院とよばれましたが、日舜上人の代に東谷にあった本成坊が廃坊となったので、これと合併再興されました。この本成坊は日蓮大聖人の直弟で、中老僧の日源上人の庵室であったと伝わる。 慶長年間に池上本門寺13世日尊上人が当院を隠棲の場所と定め、寺域の整備、充実に心がけたので寺観は一新しました。その後宝永年間の火災で焼失したので、15世喜多院日寶大徳が享保年間に現在地に移して再建、本成坊と称するようになったといわれています。
池上の寺めぐりによる本成院の縁起
弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。はじめは池上の北谷の地「とどろき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。その後、東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併、再興された。
慶長年間(1596-1615)池上本門寺13世日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1704-1711)に火災で焼失。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになった。
本成院の周辺図