養源寺|池上七福神の恵比寿
養源寺の概要
日蓮宗寺院の養源寺は、松平右京大夫隆政の母、養源院殿妙荘日長大姉の発願により、荏原郡浜竹村(東蒲田付近)にあった本成寺を松平家の所領であった当地に移転、池上本門寺十八世日輝聖人を迎えて慶安元年(1648)に開山しました。養源寺は、池上本門寺歴代住職の隠居所となり、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所となっていたといいます。池上七福神の一つ恵比寿さまを祀ってあります。
山号 | 長荘山 |
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院号 | - |
寺号 | 養源寺 |
住所 | 大田区池上1-31-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
養源寺の縁起
養源寺は、松平右京大夫隆政の母、養源院殿妙荘日長大姉の発願により、荏原郡浜竹村(東蒲田付近)にあった本成寺を松平家の所領であった当地に移転、池上本門寺十八世日輝聖人を迎えて慶安元年(1648)に開山しました。養源寺は、本門寺歴代住職の隠居所となり、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所となっていたといいます。池上七福神の一つ恵比寿さまを祀ってあります。
池上の寺めぐりによる養源寺の縁起
慶安元年(1648)松平右京大夫隆政の母、養源院殿妙荘日長大姉の発願により、荏原郡浜竹村にあった本成寺を松平家の所有地であった当地に移し、養源寺と改称、開山に本門寺十八世日輝聖人を迎えた。享保4年(1719)、同6年(1721)の二度、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所になったという。文化元年(1804)火災で全焼し、以後智海院日勝尼を初代として、昭和20年(1945)まで尼僧寺であった。池上七福神の一、恵比寿さまを祀る。(池上の寺めぐりより)
新編武蔵風土記稿による養源寺の縁起
養源寺
除地1段7畝8歩、村内にあり。当院は池上本門寺歴代の隠居所にて、彼寺の塔頭なれば開闢の由来等は本門寺塔中に出せり。(新編武蔵風土記稿堤方村項より)
養源寺
檀林の東の方につきてあり。境内除地518坪。其余山2段5畝27歩は見捨地なり。これらは皆堤方村の地なり。開闢の由来をたづぬるに、松平右近太夫その母養源院、菩提のために建立して、両山十八世日輝上人を開祖とす。これ承応元年のことなり。その時浜竹村にありし長勝山本成寺と云寺院を移して、今の寺号に改めしと云。本尊三宝は日蓮上人の作なり。寺宝に、日蓮の筆一部一巻細字の法華経あり、養源院感得の経文なりといふ。その余にも什寶ありといへり。当院は本門寺歴代の隠居所なり。享保4年11月6日、同6年11月11日、有徳院殿この邊御遊歴のとき、当院御膳所となりしとなり。(新編武蔵風土記稿池上村項より)
養源寺の周辺図