宝光山妙典寺|大田区蒲田にある日蓮宗寺院
妙典寺の概要
日蓮宗寺院の妙典寺は、宝光山と号します。永徳元年(1381)上杉六郎が開基となり、天台宗妙田寺として創建しました。池上本門寺5世日饒上人(1358~1428)が、日蓮宗に改宗の上、妙典寺として改号しました。当寺には、蒲田氏、山本氏など当地の旧家の墓が多数あります。
山号 | 宝光山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙典寺 |
住所 | 大田区蒲田2-3-10 |
本尊 | 一塔両尊四士 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙典寺の縁起
妙典寺は、永徳元年(1381)上杉六郎が開基となり、天台宗妙田寺として創建しました。池上本門寺5世日饒上人(1358~1428)が、日蓮宗に改宗の上、妙典寺として改号しました。当寺には、蒲田氏、山本氏など当地の旧家の墓が多数あります。
「大田区の寺院」による妙典寺の縁起
古くは天台宗の寺で妙田寺といわれ、永徳元年(1381)上杉六郎を開基とする。天台の学僧で、後に日蓮宗に改宗し、池上、比企ケ谷、および身延三か寺の学頭となった日饒(1358~1428)により改宗され、寺号も妙典寺と書き改められたという。関東管領上杉憲政にゆかりのあると考えられる晴天院朗忠日杉、(天文12壬子10月14日歿)上杉六郎の位牌を安置している。なお天文12年(1543)の干支は癸卯で、壬子が正しいとすれば天文21年(1552)となる。記年の誤りか。当地草分の旧家といわれる、蒲田氏、光浄院蓮光の墓をはじめ、大森谷戸宿脇本陣山本氏と、山本氏から分れた、和中散梅林堂の梅路翁の墓があり、別墓地には漢方の医家で、この地方にはじめて華道遠州流を伝えた、林松庵平林氏、武田家の部将といはれる嶋田氏、荘官とみられる杉原氏のはか、近郷旧家の墓がある。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による妙典寺の縁起
妙典寺
除地2段6畝、海道の西にあり。法華宗、池上本門寺末、宝光山と号す。古は天台宗にて寺号をも妙田寺とかきしに、本門寺第5世日饒上人当寺へ住せし時より、改宗して寺号をも今の字にかきあらためしとぞ。上人は下総国葛飾郡風早庄千駄掘と云所の人にて、俗称は明石氏なり。同郷の僧能海僧都の門に入て薙髪し、台教を奉ず。それより当国入間郡仙波村の僧詔海法印の付弟となりしかど、台教の意その心に満てりとせず、終に願師に叛伏して法華宗となり、池上及比企ヶ谷身延三ヶ寺の学頭となり、一寺ことに三年の説法を勧業す。その後当寺を中興して能化となりしかば、都鄙の諸化あまた集りて教をうけしとぞ。其後正長元年9月6日入滅す。かかる有徳の人なれば今は当寺の開山と定めり。
本堂9間に6間半。
本尊三宝を安ず。
三十番神堂。
門を入て左にあり。堂の大さ9尺四方。
毘沙門堂。
同所にあり。9尺四方。(新編武蔵風土記稿より)
妙典寺の周辺図