御幡山宝珠院|玉川八十八ヶ所霊場、東海三十三観音霊場
宝珠院の概要
真言宗智山派寺院の宝珠院は、御幡山建長寺と号します。創建年代は不詳ですが、戦国時代には既に創建されていたと伝えられます。もと宝幢院末で、六郷神社の別当寺を務めていました。玉川八十八ヶ所霊場85番、東海三十三観音霊場27番です。
山号 | 御幡山 |
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院号 | 宝珠院 |
寺号 | 建長寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 大田区仲六郷4-34-8 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場85番、東海三十三観音霊場27番 |
宝珠院の縁起
宝珠院の創建年代は不詳ですが、戦国時代には既に創建されていたと伝えられます。もと宝幢院末で、六郷神社の別当寺を務めていました。
「大田区の寺院」による宝珠院の縁起
新編武蔵風土記稿によると、寺伝では開基を弁栄とするも、弁栄は承応2年(1653)7月に寂しており、おさらく中興の僧と考えられる。それは天正年中(1573-91)の記録に、すでに当寺の号が見られるからで、かならに古寺にちがいないと記されている。江戸期は郷社八幡神社の別当を努め、幕府より禄高10石、葵紋所の使用と、長柄の乗輿を許されていた。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による宝珠院の縁起
(六郷神社)別当宝珠院
社地よりは往還を隔て西側にあり。新義真言宗、御幡山建長寺と号す。本郡高畑村宝憧院末山なり。寺伝に開基辨榮承応2年7月寂すと見えたれど、これは中興の人なるべし。天正年中の記録に、当寺の号巳に見えたれば、古木開闢ならん。本尊阿弥陀如来。客殿に安す。立像にして長三尺余なり。(新編武蔵風土記稿より)
宝珠院の周辺図