海松山徳浄寺|大田区大森東にある浄土真宗本願寺派寺院
徳浄寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の徳浄寺は、海松山と号します。徳浄寺は、厳正寺第十一世祐惠上人が寛永4年(1627)四ツ谷に創建、第三代教傳(厳正寺第十三世)が元禄年間(1688-1704)に当地へ移転、徳浄寺の初世となったといいます。

山号 | 海松山 |
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院号 | - |
寺号 | 徳浄寺 |
住所 | 大田区大森東1-16-22 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 大森幼稚園併設 |
徳浄寺の縁起
徳浄寺は、厳正寺第十一世祐惠上人が寛永4年(1627)四ツ谷に創建、第三代教傳(厳正寺第十三世)が元禄年間(1688-1704)に当地へ移転、徳浄寺の初世となったといいます。
「大田区の寺院」による徳浄寺の縁起
開基は祐信、俗姓は菅原氏。豊島郡四谷に住む。日世智行の時念仏門に帰依し、寛永4年(1627)に本尊及び親鸞の影像と寺号を本山より下賜された。元禄年間(1688-1704)に13世秀山の子、教伝が当地に移し、徳浄寺の1世となった。9世祐海が天保年間(1830-44)に本堂を建立したが、戦災により焼失、昭和35年に再建した。(「大田区の寺院」より)
新編武蔵風土記稿による徳浄寺の縁起
徳浄寺
除地一段九畝十八歩、小名南原の内海道の東側にあり。是も西大森村に属す。浄土真宗にて江戸麻布善福寺の門徒なり。昔は西本願寺の末寺なりしが、いつの頃よりか善福寺に属せり。海松山と号す。旧記によれば海栄山とあり、いつの頃にか改めけん詳ならず。村内厳正寺第十一世祐惠上人、寛永四年起立せしかど、その頃は福聚坊と号し、わづかの庵室なりしを、第三世の住持教傳の時より一寺とはなりたり、本尊弥陀の立像を客殿に安ず。長三尺ばかり、恵心僧都の作なりと云傳ふ。(新編武蔵風土記稿より)
徳浄寺の周辺図
徳浄寺の旧末寺
- 専浄寺(世田谷等々力)