易往山欣浄寺|慶長16年両国矢ノ倉に創建
欣浄寺の概要
浄土宗寺院の欣浄寺は、易往山不遠院と号します。欣浄寺は、便蓮社方誉上人勝阿円超和尚が開山となり慶長16年(1611)両国矢ノ倉に創建、正保元年(1644)浅草永住町へ移転したといいます。その後江戸期・明治年間を通じて浅草にありましたが、昭和3年当地へ移転しています。
山号 | 易往山 |
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院号 | 不遠院 |
寺号 | 欣浄寺 |
住所 | 大田区西蒲田4-29-17 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 光明幼稚園 |
欣浄寺の縁起
欣浄寺は、便蓮社方誉上人勝阿円超和尚が開山となり慶長16年(1611)両国矢ノ倉に創建、正保元年(1644)浅草永住町へ移転したといいます。その後江戸期・明治年間を通じて浅草にありましたが、昭和3年当地へ移転しています。
「大田区の寺院」による欣浄寺の縁起
慶長16年(1611)円超により、両国矢ノ倉に創寺開山し、正保元年(1644)浅草に移転した。文化3年(1806)類焼し、大正12年 (1923)震災により再び堂宇を焼失。昭和3年(1928)浄土宗過疎地に対する移寺奨励の宗風により、現在地に移る。浅草在寺の頃,境内に石地蔵があり、お白粉地蔵と呼ばれ、お顔に塗ったお白粉を、自分のお白粉と混ぜて化粧すれば,忽ち美人になるといわれて信仰されたが、2度の火難によるいたみが甚しいので、古老に尋ね、当時の面影を再現した2代目が、現在当寺に祀られている。
昭和44年(1969)紀州加太ノ浦大明神から分霊勧請した淡島大明神は,今日でも12月に針供養で賑わっている。(「大田区の寺院」より)
御府内寺社備考による欣浄寺の縁起
芝増上寺末 浅草新寺町
易往山不遠院欣浄寺(境内古跡拝領地八百五坪内門前町屋アリ)
右慶長十六年矢野倉御座候処、正保元申年当所江替地拝領被 仰付候。
開山便蓮社方誉上人勝阿円超和尚、正保四丁亥年十一月十五日示寂。
本尊阿弥陀如来木像(丈三尺二寸八分恵心僧都作)
脇檀阿弥陀如来木像(丈二尺六寸二分)
地蔵菩薩石像(丈二尺四寸三分)
鎮守稲荷社木躰(立像六寸八分)
以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
欣浄寺の周辺図