代田八幡神社|天正19年に代田村の鎮守として創建
代田八幡神社の概要
代田八幡神社は、世田谷区代田にある八幡神社です。代田八幡神社は、天正19年(1591)に代田村の鎮守として創建したといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例大祭9月 |
住所 | 世田谷区代田3-57-1 |
備考 | - |
代田八幡神社の由緒
代田八幡神社は、天正19年(1591)に代田村の鎮守として創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による代田八幡神社の由緒
(下北沢村)八幡社
社地三段、免畑一段一畝十五歩、小名本村の内高札場より耕地を隔て北の方にあり、本社は小山の上にたてり、宮作りにて横四尺に長さ六尺八寸覆屋は二間四方、鎮座の年代詳ならず、元文年中の棟札あり、是は今の社を修造せし年代なるべし、此社の内に奇石あり、其状雷槌の如くにして青石なり、長さ四尺二寸餘径太き所にて四寸、周一尺三寸五分、細き所一寸三分、これは昔より此ほとりの百姓が宅地の内に在しを、近き頃此社へ納めしと云。
末社。
春日社、本社に向ひて右の方にあり。
神明社、夷子社、大黒社、以上春日祠の右にあり。
辨天天神合社。是は本社に向て左にあり。(新編武蔵風土記稿より)
せたがや社寺と史跡による代田八幡神社の由緒
八幡神社(代田八幡) 代田3-57-1
祭神仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、「新編試蔵風土記稿」に「鎮坐、年代詳ナラズ、元文年中(1736〜1741)ノ棟札アリ、是ハ今ノ社ヲ修造セシ年代ナルベジ」と記す如く由緒については明らかでない。別当円乗院が享保年間(1716~1736)に炎上したためであろう。代田村の鎮守であったが、明治年間大原町などが分かれた。神宝として石棒を蔵する。風土記稿に云う。「此社ノ内ニ奇石アリ、ソノ状雷槌ノ如クニシテ青石ナリ。長サ四尺ニ寸余円径太キ所ニテ四寸周一尺三寸五分、コレノハ管ヨリ此ホトリノ百姓ガ宅地ノ内ニアリシヲ、近キ頃此社へ納メシト去」社殿は戦災により炎上、現在のものは戦後の再建である。天明5年(1785)銘の石の鳥居が建つ。祭礼は9月19日20日であったが、現在は9月の第3土曜日曜に行主われる。(せたがや社寺と史跡より)
境内掲示による代田八幡神社の由緒
天正十九年(1591年)代田地区(旧下代田、本村、中原、大原)の鎮守の神様として宇佐八幡宮より御分霊を勧請してお祀りしたことを縁起としております。
以来、代田の発展に伴い、幾多の変遷を経ながらも自然崇拝、祖先崇拝を基調に、氏子中より氏神(産土神)として篤く信仰されています。(境内掲示より)
代田八幡神社所蔵の文化財
- 代田八幡神社鳥居一基(世田谷区指定有形文化財)
代田八幡神社鳥居一基
この鳥居は明神鳥居の形式で建てられています。大きさは柱間が二、三九〇mm、最高高さが三、一一五mmあり、材質は花崗岩です。柱に刻まれた銘文によれば、天明五年(一七八五年)十二月に惣氏子中、大原講中によって奉納されたもので、石工は北八丁堀松屋町助左衛門です。
大正十二年(一九二三年)の関東大震災で傾き、その修理の時に正面を裏に向けてしまったと伝えられています。
現在、区内にある鳥居で二番目に古く、承応三年(一六五四年)建立の喜多見氷川神社の石造鳥居(区指定文化財)に次ぐものです。(世田谷区教育委員会掲示)
代田八幡神社の周辺図