代永山円乗院|代田村村民の菩提寺として創建、代田玉川八十八ヶ所霊場
円乗院の概要
真言宗豊山派寺院の円乗院は、代永山真勝寺と号します。円乗院の創建年代は不詳ですが、寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建、寛永2年(1625)までには創建していたといいます。玉川八十八ヶ所霊場50番です。
山号 | 代永山 |
---|---|
院号 | 円乗院 |
寺号 | 真勝寺 |
住所 | 世田谷区代田2-17-3 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 玉川八十八ヶ所霊場50番 |
代永山円乗院の縁起
円乗院の創建年代は不詳ですが、寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建、寛永2年(1625)までには創建していたといいます。
せたがや社寺と史跡による代永山円乗院の縁起
円乗院 代田2-17-3
代永山真勝寺円乗院と号し真言宗で勝国寺の末寺であった。「新編武蔵原土記稿」には円成院境内除地1町6段11畝余と記載され「村民古クヨリモテルト云記録アリ、ソレモ寛永二年(1625)以来ノコトヲ載タレド、ソレヨリ上ノコトノ、シルサズ、菅村民七人円成院ト共ニ小名本屋舗ノ地ニアリテ耕作ヲ勤ムト云々、サレバ此村草創ノ比ヨリノ寺ナルベシ」とあり、いわゆる代田7人衆などにより寛永初期頃までに代田村村民の菩提寺として創建維持されてきた、百姓持ちの寺と思われる。享保年間(1716~1736)に炎上再建されたが、昭和20年の空襲により再度回禄の災にかかる。現本堂は昭和29年移建されたものであるが、その前身は台東区橋場総泉寺(秋田佐竹侯菩提寺)の旧本堂であった。狩野探信筆の襖絵(文政8年)などがあり、江戸後期の建築物であろう。風土記稿にみえる観音堂は戦災時まで存していたが惜しくも炎上した。本尊不動明王は享保炎上後同18年(733)12月再造されたもの、門前に斉田東野筆弘法大師1000年遠忌の大石碑がある。並立する庚申塔2基は区立守山小学校敷地から移したものである。1月15日境内で三土代会主催で代田餅搗や曲搗保存のための餅搗会が行なわれている。世田谷区内で数少い弥生時代追跡である円乗院遺跡は同院裏手のほぼ南面する丘陵端で発見され、昭和3年調査されたときには竪穴住居3が確認され多数の弥生後期の土器が出土した。都市化の進行により遺跡は湮滅に帰したが、土器類は世田谷区立郷土資料館に展示されている。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による代永山円乗院の縁起
(代田村)円成院
境内除地一町六段八畝餘、是も本村の内八幡の社より東の方にあり、新義真言宗にて世田ヶ谷村勝國寺の末寺、代永山と號す、開山開基ともに詳ならず、本堂は八間半に七間庫裏へ立つつけたり、本尊は不動明王此像は享保十八年十二月造立せしより云り、是によれば昔の本尊はいつの頃にかうせて再造せしことしるべし、村民古くよりもてると云記録あり、それも寛永二年以来のことを載たれど、それより上の事はしるさず、其記に云昔村民七人圓成院と共に小名本屋敷の地にありて工作を勤むと云々、されば此村草創の頃よりの寺なるべし、又同じ記録に元禄十年八月検地の時、圓成院の寺内五段餘地頭よりの除地、又小名堀廻しと云所一町二段は先々寅年検地の時うち捨になりしと云々、
此寅年といへるは延宝二年のことなるべし。
薬師堂。本堂に向て左にあり三間四方なり。
観音堂。薬師堂の並にあり二間四面十一面観音を安置す。(新編武蔵風土記より)
代永山円乗院の周辺図