北澤八幡神社|世田谷城主が文明年間に勧請
北澤八幡神社の概要
北澤八幡神社は、世田谷区代沢にある八幡神社です。北澤八幡神社は、文明年間(1496-1487)に世田谷城主により勧請されたといい、近隣の七沢で随一と称されていたといいます。
社号 | 八幡神社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 比売神、神功皇后、仁徳天皇 |
境内社 | 産土社、高良玉垂社、円海稲荷社、野屋敷稲荷社、長栄稲地社、愛宕稲荷社、弁天社 |
祭日 | 例大祭九月第一土・日曜日 |
住所 | 世田谷区代沢3-25-3 |
備考 | - |
北澤八幡神社の由緒
北澤八幡神社は、文明年間(1496-1487)に世田谷城主により勧請されたといい、近隣の七沢で随一と称されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による北澤八幡神社の由緒
(下北沢村)八幡社
村の中央より少し南小高き丘上にあり、本社宮作覆屋九尺に二間、石階九級を下て拝殿あり、二間に三間半、又石階を下れば石の鳥居木の鳥居二基を建つ、鎮座の年歴定かならず、昔吉良家所領の頃七澤八八幡と唱て、澤と八幡社とその数ありしとぞ、當社も其一なりなど土人の口碑にあれと確かなることを知らず、今當所の鎮守なり、村内森巌寺持。
末社。
稲荷社、本社に向て右にあり。辨天社。本社に向て左にあり。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による北澤八幡神社の由緒
文明年間(一四六九〜八七)世田谷城主(八代左兵衛頼康のころ)の勧請により創建され、七沢八社随一正八幡宮と称された。江戸時代歴代地頭の尊信厚く、慶安三年(一六五〇)ときの知行斎藤摂津守の八幡宮領七石四升は、前と同じに寄進することの黒印状があったが、当社の別当であった森巌寺の火災により焼失した。
現在の産土社はこの本殿で、嘉永五年(一八五二)に建築された。現在の社殿は昭和五十三年に改築され、神楽殿は、明治二十六年に建築され、平成十六年改築した。(境内掲示より)
せたがや社寺と史跡による北澤八幡神社の由緒
北沢八幡宮 代沢3-25-3
祭神は誉田別尊(応神天皇)比売神息長帯姫命(神功皇后)。文明年間の勧請と伝え下北沢村の鎮守であった。別当森巌寺が文化9年(1812)炎上したので一切の古文書記録が烏有に帰したらしく、由諸その他は明らかでない。しかし慶安3年(1650)当時の領主斉藤摂津守の7石4升の寄進黒印状の写しや天和2年(1682)の八幡宮拝殿額(盗難亡失)などの存在は早くより、人々の尊崇を集めていた証となるであろう。
現在の本殿は嘉永5年(1852)幣殿拝殿は大正9年の新改築、神楽殿は明治26年の新築である。八播神像安永2年(1773)銘、八幡坐橡嘉永4年(1851)修補銘、七沢八社随一正八幡宮拝殿額嘉永7年(1854)銘などを蔵する。また斉田東野筆手洗石文政7年(1824)が水舎にある。この神社のことは「嘉陵紀行」にも記されている。祭礼は明治6年の明細書上げでは9月15日であるが現在では9月の第1土曜日曜に行なわれている。(せたがや社寺と史跡より)
北澤八幡神社の周辺図