船橋神明神社|世田谷区船橋の神社
船橋神明神社の概要
船橋神明神社は、世田谷区船橋にある神明神社です。船橋神明神社の創建年代等は不詳ながら、隣接する宝性寺の創建が寛永年間(1624-1645)の創建といい、当社もほぼ同時期の創建ではないかと思われます。明治6年村社に列格していました。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | 倉稲魂命、天児屋根命 |
境内社 | (六宮社)厳島社、天神社、御嶽社、三峯社、稲荷社、津島天王社 |
祭日 | - |
住所 | 世田谷区船橋4-40-17 |
備考 | - |
船橋神明神社の由緒
船橋神明神社の創建年代等は不詳ながら、隣接する宝性寺の創建が寛永年間(1624-1645)の創建といい、当社もほぼ同時期の創建ではないかと思われます。明治6年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による船橋神明神社の由緒
(船橋村)神明宮
除地、一町四段、村の南宝性寺境内続きにあり、僅なる社にて東向、上屋を本社より拝殿までつくりかけたり、二間に九尺茅葺。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による船橋神明神社の由緒
当社創立年代及び古代由緒沿革等は不詳ではあるが、境内には天保十年建立の石鳥居があり、古代より神明さまとして船橋はもとより近隣の鎮守として、広く信仰を集めている。明治六年に村社に列せられ、明治四十一年には会計法指定神社となる。元社殿は、大正十五年三月に社殿改築工事が行われ、木造トタン葺一九・一三坪が完成す。昭和四十年八月社殿屋根を銅板葺に、併せて社務所・神楽殿木造瓦葺四十九・三二坪が完成す。それより幾年もの間、船橋氏子の心のより所として慕われて来たが、平成二年三月十九日未明に過激派ゲリラの時限発火装置により放火され全焼す。同年六月御社殿復興建設委員会を発足し、多くの奉賛をもって平成四年七月二日御社殿(鉄筋コンクリート神明造銅板葺 二十八・三四坪)末社(六つ宮)境内整備を竣工完了、正遷座祭執行、司年九月十三日竣工奉祝祭を執行す。(境内掲示より)
せたがや社寺と史跡による船橋神明神社の由緒
神明神社(船橋4−40−17)
祭神は天照皇大神である。創立、由来については詳でない。「新編武裁国風土記稿」によれば「新明宮 除地一丁四段 村ノ南宝性寺域内続キニアリ。ワブカナノレ社ニテ、東向。上屋ヲ本社ヨリ拝殿マデツクリカケタリ。二間ニ九尺、茅葺。」とある。
古老の話によると以前は祠ていどの社であったが、何百年も前から船橋の守護神として近郷の崇敬を集め現在に至ったとのことである。境内には天保10年(1839)建立の石鳥居がある。
明治6年に村社に列せられ、明治41年には会計法指定神社となる。現在の社殿は昭和40年に改築し、神業殿・社務所はその際新築したものである。例祭は毎年同月上旬の土日におこなわれている。
境内は社地とも1000坪(3300m2)余りあり、松杉の老木におおわれ、区立の自動遊園地も設けられている。(せたがや社寺と史跡より)
船橋神明神社の周辺図