波羅密山宝性寺|玉川八十八ヶ所霊場
宝性寺の概要
真言宗智山派寺院の宝性寺は、波羅密山観光院と号します。宝性寺の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)の創建であろうといいます。玉川八十八ヶ所霊場43番です。
山号 | 波羅密山 |
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院号 | 観光院 |
寺号 | 宝性寺 |
住所 | 世田谷区船橋4-39-32 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宝性寺の縁起
宝性寺の創建年代等は不詳ながら、寛永年間(1624-1645)の創建であろうといいます。
せたがや社寺と史跡による宝性寺の縁起
新義真言宗智山派に属し、波羅密山観光院宝性寺と号する。川崎市小杉の西明寺の末寺である。開基については詳細は不明であるが、寛永年間と推察されるも、元禄年間の品々も若干残置しており、墓石あるいは元禄地蔵尊も残っている。天保年間より明治中頃まで頽廃のまま住職断絶して、隣接の東覚院の住職が兼務管理していた。たまたま明治19年東覚院火災の際、当宝性寺の古記録及び過去帳など一切焼失したので、的確な史実が判明していない。
本尊は木像で2尺(約60cm)ばかりの大日如来で、脇仏として不動明王と薬師如来・弘法大師・興教大師の尊像を安置している。境外仏堂として観音堂(本尊聖観音・脇仏として閻魔尊像・弘法大師等:現船橋観音堂)があったが、昭和28年宗教法人法の切換えの時、この寺の所有とならず現存してはいるが、国有財産となっている。寺の門前には元禄年間の夜泣地蔵尊が安置されているが、一名子育て地蔵尊として有名である。また一口には庚申さまと呼んでいるが、正しくは大青面金剛尊(疣取庚申)が安置されており、昔からー名イボ庚申と呼ばれ、この神に祈念するとイボがいつのまにかとれてしまうとのいい伝えがある。なお本堂左側には樹令300年といわれる大七葉樹がそびえていて、近郷の珍木であり、そのため昔この寺をとちの木寺とも呼んでいた。
『新編武蔵国風土記稿』に「除地五段境内雑木村立リ。真言宗新義波羅密山ト号ス。橘樹郡稲毛領小杉村西明寺末開山・開基詳ナラズ。客殿十五間ニ六間半本尊大日木ノ坐像二尺ナルヲ安ズ。」と記されている。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による宝性寺の縁起
(船橋村)宝性寺
除地九段、境内雑木林立り、真言宗、新義真言宗羅密山と號す、橘樹郡稲毛領小杉村西明寺末、開山開基詳ならず、客殿十五間に六間半、本尊大日木の坐像なるを安ず。(新編武蔵風土記より)
宝性寺の周辺図