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奥澤神社|世田谷区奥沢の神社

奥澤神社の概要

奥澤神社は、世田谷区奥沢にある神社です。奥澤神社の創建年代は不詳ですが、世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられます。江戸時代中期に疫病が流行、以後厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、現在も「奥沢神社の大蛇お練り行事」として続いています。江戸時代末期より奥澤神社の社寮で子弟を集め学問を教えるようになり、八幡小学校の礎石となったといいます。

奥澤神社
奥澤神社の概要
社号 奥澤神社
祭神 誉田別命、倉稲魂命
境内社 -
相殿 -
祭日 例祭日:9月
住所 世田谷区奥沢5-22-1
備考 旧奥澤新田村鎮守、旧村社



奥澤神社の由緒

奥澤神社の創建年代は不詳ですが、世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられます。江戸時代中期に疫病が流行、以後厄除として藁で作った大蛇を携えて練り歩く行事が行われるようになり、現在も「奥沢神社の大蛇お練り行事」として続いています。江戸時代末期より奥澤神社の社寮で子弟を集め学問を教えるようになり、八幡小学校の礎石となったといいます。

せたがや社寺と史跡による奥澤神社の由緒

祭神は応神天皇、倉稲魂ノ命である。
世田谷城吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり、世田谷郷東部の守護として八幡社を勧請したと伝えられる。
旧本殿は
3間半に1間、拝殿は2間に3間で、祭礼は9月15日である。この日には神楽を奏したが、今でも「奥沢ばやし」として残っている。
昭和3年石の鳥居にかえたが、それまでは木の鳥居で、厳島の海中の鳥居と同じ形であった。
江戸中期、疫病が流行した時、名主の夢枕に八幡様が立たれ、なわで造ったへびを祭るとよいというところから「厄除大蛇」が鳥居にかけられるようになり、今も続いている。
慶応末、ここの社寮に土地の子弟を集めて読・書・算を教えた。明治12年12月20日、一部を改修して認可を得、社名をとって「八幡小学校」とした。現在の社務所がそれである。
本殿の西にある稲荷社は、旧本村稲荷丸979にあったものを明治43年に合祀したのである。
社務所の玄関わきの道標は、大音寺のそば呑川のわきにあったものを移したものである。(せたがや社寺と史跡より)

新編武蔵風土記稿による奥澤神社の由緒

(奥澤新田村)八幡社
除地5段余、内社地1段、畑地4段余。村の東の方にあり。本社3間半に1間。拝殿2間に3間。前に鳥居を建つ。本社の右に4間に2間の寮あり。社を護るものここに居れり。祭礼9月15日、村民うちよりて神楽を奏す。下沼部村密蔵院の持。
末社。
稲荷社。本社の西にあり。
犬神社。本社の後に在。
薬師堂。本社の右にあり。2間四方本尊は石像なり。(新編武蔵風土記稿より)

世田谷区教育委員会掲示による奥澤神社の由緒

祭神誉田別命宇賀魂命
世田谷城主吉良氏の家臣、大平氏が奥沢城を築くにあたり守護神として勧請したと伝えられる。
例祭の9月14日・15日に、江戸中期より伝えられている「厄除の大蛇」の特殊神事が行われ、境内の「八幡小学校発祥之地」の碑は、かつて八幡小学校校舎があったからである。
社殿は昭和15年に完成し、尾州檜材を用い、室町期の様式を採用したもので、都内においても他に類を見ない。(世田谷区教育委員会掲示より)


奥澤神社所蔵の文化財

  • 奥沢神社の大蛇お練り行事(世田谷区指定無形民俗文化財)
  • 道標

奥沢神社の大蛇お練り行事

江戸時代の中頃、奥沢の地に疫病が流行して、病に倒れる者が多かったとき、ある夜この村の名主の夢枕に八幡大神が現われ、「藁で作った大蛇を村人が担ぎ村内を巡行させると良い」というお告げがあったという。早速新藁で大きな蛇を作り村内を巡行させたところ、たちまちに流行疫病が治ったという言い伝えがあり、これが厄除の大蛇として鳥居にからまり、大蛇お練りとして現在に伝えられている。蛇の形のものを作ってかつぎ歩く祭りは、全国的にあるが、都内では珍しい祭りである。蛇の形(水神の意)をかつぎ歩くことによって農耕に必要な水の確保や生産の順調なることを予祝する行事にほかならない。
奥沢神社では毎年9月の第1日曜日に氏子が集まり、大蛇づくりが行われる。これは社殿に安置され、社殿にあった昨年の大蛇を鳥居にかけられる。そして9月14日の大祭に大蛇お練りが行われる。(世田谷区教育委員会掲示より)


奥澤神社の周辺図


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