瘡守稲荷神社|世田谷区瀬田の神社
瘡守稲荷神社の概要
瘡守稲荷神社は、世田谷区瀬田にある神社です。瘡守稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には病平癒の社として多くの参詣者があり、「多摩川のきれいな石を持ちかえり、病気が全快すると多摩川から石を拾い、倍にしてかえす習慣があった」といいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 世田谷区瀬田4-32-19 |
備考 | - |
瘡守稲荷神社の由緒
瘡守稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代には病平癒の社として多くの参詣者があり、「多摩川のきれいな石を持ちかえり、病気が全快すると多摩川から石を拾い、倍にしてかえす習慣があった」といいます。
せたがや社寺と史跡による瘡守稲荷神社の由緒
瘡守稲荷神社(玉川瀬田町383)
境内には、樹令百年余の大欅がある。その傍に小さい神社がある。祭神として老人の石像(全身2尺位)が安置されているが、史実になるものは、何もなく、したがって祭神、石像の作者、神社の創設は、はっきりしない
以下の記述は神社世話人談
神社は江戸時代に出来たことは確かである。昔瘡ができたり、病気になったとき当時医者がいなかった。近在の瀬田村、砧、遠く神奈川(川向う)方面の人たちは、病気全快を祈り、神社にお詣りした。その際神社の階段におかれてあった多摩川のきれいな石を持ちかえり、病気が全快すると多摩川から石を拾い、倍にしてかえす習慣があった。また社内には、絵馬がたくさんある。これも近郷近在の人が、病気全快や、五穀豊穣をねがい、願いがかなったとき、絵馬をかい求め、お礼にかえしたものらしい。絵馬はキツネが多い。
昔の社は敷地130坪位に巾9尺、奥行2間位の小さい社であったが、4年前尾山台神社(註:尾山台宇佐神社か?)新築の際、古い建物をもらって建造したものである。
年中行事としては、正月初午の日、瀬田町中心の旧農家(氏子)の人々が集って、赤飯・餅・油あげ等を供え、お祭りをする。これが唯一の祭りである。
現在区遊園地に指定されている。(せたがや社寺と史跡より)
瘡守稲荷神社の周辺図