源良院|関東大震災後当地へ移転、向旭院と合併
源良院の概要
浄土宗系単立寺院の源良院は、向旭山と号し、延宝4年(1676)、浅草西福寺末として神田に開基されました。その後湯島・浅草への移転を経て、関東大震災後当地へ移転しました。当地へ共に移転してきた向旭院と合併、向旭山源良院と称しています
山号 | 向旭山 |
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院号 | 源良院 |
寺号 | - |
住所 | 世田谷区北烏山4-10-1 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
源良院の縁起
源良院は、延宝4年(1676)、神田に開基されました。その後湯島・浅草への移転を経て、関東大震災後当地へ移転しました。当地へ共に移転してきた向旭院と合併、向旭山源良院と称しています。
せたがや社寺と史跡による源良院の縁起
浄土宗に属し、神田山向旭院、神田山源良院と称し延宝4年(1676)に玉置八右衛門によって開基されている。
古くは神田にあり、湯島に移り、更に浅草神吉町へ移され、関東大震災にあい、大正14年に現在地へ移っている。
本尊は阿弥陀如来像。このほかに観世音菩薩が祭られている。
烏山に移転前は幡随院が本寺で、向旭院も源良院もその寺中として存在した。源良院は学寮であって、僧侶の修行寺であった。幡随院は現在、小平市(註:小金井市)にある。
現在、本住職はいないで、他寺と兼務している。檀家は浅草、深川方面の方が大半、数十に過ぎない。(せたがや社寺と史跡より)
御府内寺社備考による源良院の縁起
当院儀は浅草西福寺塔頭ニ罷在候処、万冶2年中幡随院ヘ引移申候。其由来相知不申候。起立之後元禄年中類焼仕、其後度々再建仕候所、又候文化3年類焼仕、文政元年3月朔日客殿造立仕候。(御府内寺社備考より)
御府内寺社備考による向旭院の縁起
慶長18年中ニ起立ニ而月日相知不申候。則幡随意上人ヘ向旭院ト院号被下置候。従何御訴申上候哉、由来相知不申候。(御府内寺社備考より)
源良院の周辺図