東光山西福寺|浄土宗江戸四ヶ寺
西福寺の概要
浄土宗寺院の西福寺は、東光山松平良雲院と号します。西福寺は、貞阿が西福寺と号して駿河に創建、慶長3年(1598)駿河台下に移り一寺となしたといいます。江戸時代には千駄ヶ谷に100石の御朱印を受けていた他、別院真行院、塔頭六ヵ院(源祟院、法林寺、林照院、長應院、存心院、智光院)を有し、浄土宗江戸四ヶ寺の一つとして触頭を勤めていました。
山号 | 東光山 |
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院号 | 松平良雲院 |
寺号 | 西福寺 |
住所 | 台東区蔵前4-16-16 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 浄土宗江戸四ヶ寺触頭 |
西福寺の縁起
西福寺は、貞阿が西福寺と号して駿河に創建、慶長3年(1598)駿河台下に移り一寺となしたといいます。
御府内寺社備考による西福寺の縁起
京都知恩院末 浅草不唱小名
東光山松平良雲院西福寺 境内古跡拝領地6607坪余
当寺根元ハ三州ニ有之。開山貞誉於駿河一寺を建立し号西福寺。慶長3年今之駿河台之下ニ一寺建立。依三州号東光山西福寺。蓋山号御称号ハ神祖所名也。寛永15年於当所替地被仰付候。(中略)
別院 真行院 境内150坪。往古真行と云僧之草庵也。寛永年中、良雲院殿御廟守として第6世之住持檀誉一院ニ取立、寿誓院と号す。中古真行院と号。天明3年8月阿部能登守正敏別院ニ取立、50石寄附。時之院主笑誉弁義と云。開基湛蓮社法誉然称真行、元和8年5月29日卒。中興勤蓮社笑誉弁義、文化元年12月24日卒。本尊阿弥陀如来。
塔頭六ヵ院。源祟院、法林院、林照院、長応院、存心院、智光院(御府内寺社備考より抜粋)
西福寺所蔵の文化財
- 勝川春章の墓(東京都指定文化財)
- 育英小学校発祥の地(台東区旧跡)
育英小学校発祥の地
明治2年(1869)3月、明治新政府は幕府・藩による政治体制にかわる新しい日本の構築にあたって、国民全体の教育の推進をはかるため、小学校の設置を定め、明治3年3月、東京に六つの小学校を設立した。
その一つが、本寺境内に設立された「仮小学 第四校」で、現在の育英小学校の前身である。開校日は同年6月23日で、現蔵前・鳥越・浅草橋・柳橋・三筋附近に居住していた旧大名・旗本及びその家臣の子弟たちが入学したといわれる。したがって当地は同5年8月の学制発布に先立つ、東京で最も早い公立小学校発祥の地である。
当校は、同7年(1874)4月中旬に医学館跡地(現浅草橋4丁目17番附近)へ移転、明治10年8月、育英小学校と改称し、同18年10月に現在地(浅草橋2丁目26番8号)に移った。(台東区教育委員会)
西福寺の周辺図