瑞泉山高源院|もと東海寺の塔頭、昭和14年品川から移転
高源院の概要
臨済宗大徳寺派の高源院は、瑞泉山と号します。高源院は、久留米藩第5代藩主有馬頼元公の夫人(養福院高源宗隆大姉)を開基として元禄15年(1702)怡渓宗悦和尚が開山、品川東海寺の塔頭として北品川に創建しました。関東大震災により廃寺となったものの、昭和10年ことから有馬氏一族有志が再建を図り、昭和14年当地へ移転したといいます。
山号 | 瑞泉山 |
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院号 | 高源院 |
寺号 | - |
住所 | 世田谷区北烏山4-30-1 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高源院の縁起
高源院は、久留米藩第5代藩主有馬頼元公の夫人(養福院高源宗隆大姉)を開基として元禄15年(1702)怡渓宗悦和尚が開山、品川東海寺の塔頭として北品川に創建しました。関東大震災により廃寺となったものの、昭和10年ことから有馬氏一族有志が再建を図り、昭和14年当地へ移転したといいます。
せたがや社寺と史跡による高源院の縁起
臨済宗大徳寺派に属し、松葉山高源院と号する。本尊は釈迦如来の座像で足利時代の作といわれるが詳らかでない。開山の怡渓和尚の木像が安置してあるが、これも作者、時代ともに不詳。
元禄15年(1702)久留米藩第5代藩主有馬頼元公および夫人のために、怡渓宗悦和尚が開山した。はじめは品川東海寺の塔頭として、北品川に東海寺と称して建立されたが、後有馬頼元公夫人の法号養福院殿高源宗隆大姉から高隆院と称した。明治26年ごろより無住となり、関東大震災によって廃寺となった。昭和10年ごろから有馬氏一族の有志が再建をはかり昭和14年現在地に移転したが、太平洋戦争のため再建計画は中絶している。
敷地内は植木が多く春はつつじ、夏は睡蓮、秋は萩など四季のながめがよい。特に庭内に清泉が湧いて池を作って、中央に浮御堂を建て、弁財天がまつってある。この池に昭和35年の秋から鴨が越冬するようになった。小鴨・軽鴨・真鴨が飛来し、軽鴨の産卵孵化がみられ、都会地としてはたいへんめずらしい場所である。
寺内には頼元公夫人の墓、切支丹燈籠がある。
開山の怡渓和尚は江戸時代の茶道石州流怡渓派の祖として有名である。(せたがや社寺と史跡より)
新編武蔵風土記稿による高源院の縁起
(北品川宿)
(東海寺塔頭)高源院
額門を入て右にあり、有馬氏起立す、開基は養福院高源宗隆大姉、開山は法忍大定禅師なり、(新編武蔵風土記稿より)
高源院の周辺図