玄立山妙高寺|浅草橋場に創建、昭和2年当地へ移転
妙高寺の概要
日蓮宗寺院の妙高寺は、玄立山と号します。妙高寺は、寛永2年(1625)首玄院日立上人が浅草橋場に創建、水野家の菩提寺となっていたといいます。関東大震災後昭和2年当地へ移転しています。
山号 | 玄立山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙高寺 |
住所 | 世田谷区北烏山6-23-1 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙高寺の縁起
妙高寺は、寛永2年(1625)首玄院日立上人が浅草橋場に創建、水野家の菩提寺となっていたといいます。関東大震災後昭和2年当地へ移転しています。
せたがや社寺と史跡による妙高寺の縁起
日蓮宗で、田立上人によって寛永2年(1625)、江戸浅草に創立された。代々水野家の帰依を受けていた。
関東大震災後、現在地に移転した。
本尊は、久遠実成釈迦年如来。
寺内には、尊王の先覚者、藤井右門の墓、臣家の速水御舟や今村紫紅の墓、金工家後藤家の墓がある。
倒幕家藤井右門は、京都から江戸にでて、兵学者山形大弐の家に身をよせて、幕府の専横を非難し、倒幕を計画していたが、昭和3年(1766)町奉行に捕らわれ、大弐は死罪に、右門は獄門に処せられた。これが明和の変である。しかし、これらの思想は、やがれ蒲生君平、高山彦九郎らにひきつがれ、幕末には幕府の封建性をふさぶる力となった。
御舟は明治27年に生まれ、松本楓湖に日本画を学び紅見会に加わり、のち、今村紫紅らと、「赤耀会」を組織して、院展に新風をおくった日本画家として有名である。昭和10年没した。
紫紅は明治13年横浜市に生まれ、松本楓湖に日本画を学び、日本美術研究所にて、岡倉天心の指導を受けた。御舟らと「赤耀会」を組織した。代表作に「近江八景園」「熱園の巻」等がある。(せたがや社寺と史跡より)
御府内寺社備考による妙高寺の縁起
安房国長狭郡小湊誕生寺末 浅草橋場町 原立山妙高寺、境内1129坪内360坪御除地760坪年貢地外780坪持添年貢地。
寛永2年建立。
開山首玄院日立聖人、寛永3年12月7日遷化。
本堂、本尊法華経釈迦仏座像。
鎮守堂、稲荷、大黒天、帝釈天、三社合殿、帝釈ハ運慶作ト申伝候。
鐘楼、大鐘。右元禄7月8日ト彫付在之。
塔中、通玄院当寺廃寺。以上乙酉書上(御府内寺社備考より)
妙高寺の周辺図
参考資料
- せたがや社寺と史跡
- 御府内寺社備考
- 烏山寺町 妙高寺