松高山伝乗寺|世田谷区尾山台
伝乗寺の概要
浄土宗寺院の伝乗寺は、松高山法生院と号します。伝乗寺は、住誉良公和尚が開山となり創建したといいます。
山号 | 松高山 |
---|---|
院号 | 法生院 |
寺号 | 伝乗寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 浄土宗 |
住所 | 世田谷区尾山台2-10-3 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
伝乗寺の縁起
伝乗寺は、住誉良公和尚が開山となり創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による伝乗寺の縁起
傳乗寺
除地3段5畝、字根通りにあり。松高山法生院と号す。浄土宗にて橘樹郡上小田中村泉澤寺の末なり。開山は往誉良公和尚と云其年暦を詳にせず。寂年等も傳へず。本堂は6間に4間南向なり。本尊阿弥陀佛を安ず。木の立像にて長3尺許り。
表門。両柱の間9尺。
古碑一基。応安7年3月25日としるす。誰人の碑なることを傳へず。(新編武蔵風土記稿より)
せたがや社寺と史跡による伝乗寺の縁起
次太夫堀(六郷用水)のほとり、北側にある。松高山法生院と号し、浄土宗で、川崎市小田中の泉澤寺の末、開山は住誉良公和尚という。本尊は阿弥陀如来で木の坐像3尺(約1m)ばかりで、板碑を数多く存している。『新編武蔵風土記稿』によれば、「除地三段五畝、字根通ニアリ、(中略)本堂ハ六間二四間、南向ナリ。(中略)表門両柱ノ間9尺」と記している。
寛政10年(1798)の西村和泉守作になる村念仏話中の伏鉦がある。
享和2年(1802)に「さいの神」の火が移って焼失したことがあった。本堂は文化4年(1807)3月に、庫裡は享和2年(1802)2月に建てられている。
本寺の地蔵菩薩立像は頭部のみ古作で、一木で保存もよく、美しい。藤原期のもので胴体は後補である。小阿弥陀如来座像は鎌倉期のものである。(せたがや社寺と史跡より)
伝乗寺の周辺図