南照山久成院|江戸時代中期創建
久成院の概要
天台宗の久成院は、南照山東耀寺と号します。久成院は、良尊法師(天和元年1681年寂)が開山となり創建したといいます 。
山号 | 南照山 |
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院号 | 久成院 |
寺号 | 東耀寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 世田谷区桜丘4-13-4 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
久成院の縁起
久成院は、良尊法師(天和元年1681年寂)が開山となり創建したといいます 。
新編武蔵風土記稿による久成院の縁起
(世田谷村)久成院
境内除地三段一畝、字宇奈根山谷にあり、天台宗多磨郡深大寺末、南松山東生寺と號す、本堂六間に四間半、本尊弥陀如来長七寸。(新編武蔵風土記稿より)
せたがや社寺と史跡による久成院の縁起
天台宗、深大寺末で南照山東耀寺という。無住の時代が久しかったので古い文献は一切所蔵されておらず、したがっていつごろ開基されたかはっきりしないとの事であるが、開山の良尊法師が天和1年(1681) 2月13日に没していることが墓碑に記してあるので、天
年より2.30年前に建立されたものであろうと思う。本尊は7寸の阿弥陀如来(坐像)で脇侍は観音・勢至の両菩薩である。昔は双盤念仏が盛んに行なわれたというが、今は年1回3月15日に念仏講がお寺で行なわれるだけである。本堂は間口、奥行共に6間半の建物で昭和31年修築された。墓地の中には日本少年団の創始者小柴博の墓がある。本堂の裏手、右側に庚申供養塔がある。道しるべを兼ねたもので、「寛延元戊辰天(1748)11月庚申供養講中世田谷村」と記してあり、正面に「右府中道」左村中道、と彫ってある。4・5年前区立桜丘小学校付近の道路傍にあったものをここに移したものという。久成院前の道をへだてて宇山神社という小社がある。もとは稲荷社として信仰されていたのであるが、後に社名を宇山神社と改めた。宇奈根山谷住民の鎮守である。(せたがや社寺と史跡より)
久成院の周辺図