瑞泉山霊泉院|祥雲寺の塔頭寺院
霊泉院の概要
臨済宗大徳寺派寺院の霊泉院は、瑞泉山と号します。霊泉院は、徳峰和尚(寛永2年寂)が開山となり寛文9年(1669)当地に創建、祥雲寺の塔頭として、景徳院と共に、一年交代で祥雲寺の住持を務めていたといいます。
山号 | 瑞泉山 |
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院号 | 霊泉院 |
寺号 | - |
住所 | 渋谷区広尾5-1-21 |
本尊 | 観世音立像 |
宗派 | 臨済宗大徳寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
霊泉院の縁起
霊泉院は、徳峰和尚(寛永2年寂)が開山となり寛文9年(1669)当地に創建、祥雲寺の塔頭として、景徳院と共に、一年交代で祥雲寺の住持を務めていたといいます。
御府内寺社備考による霊泉院の縁起
霊泉院
寛文九巳酉年当地拝領後地中ニ建立仕候。
開山徳峰和尚祥雲寺二代目黙翁和尚之嗣法也寛永二乙酉年七月廿三日寂。
客殿九間ニ五間半。本尊観世音木立像。
鐘楼堂、八尺四方。大鐘高二尺九寸八分差渡二尺厚二寸二分龍頭九寸。
銘文左之通。(略)
鎮守秋葉社、間口三尺三寸奥行三尺八寸。神体幣。(御府内寺社備考祥雲寺項より)
「渋谷区史」による霊泉院の縁起
霊泉院(元廣尾町六番地)
臨済宗、大徳寺末。江戸時代には、祥雲寺塔頭であつた。寛文九年祥雲寺の中に創建。開基は出雲廣瀬領主松平近栄(秀康の孫)。開山は祥雲寺二代黙翁和尚の嗣法徳峰である。境内八百六十一坪。本尊観世音。明治五年まで、景徳院と共に、一年交代で祥雲寺に住していた。寺格は本寺に准し、品川東海寺の住職を兼務する例である。寺庭に昭和三年頃、本寺の允許所府中町常光寺から移した明徳五年の板碑がある。
寺寶に開山徳峯開基松平近栄の画像があり、また広尾の旧家玉川次致氏の寄託にかゝる六曲屏風一隻がある。広尾水車附近の光景を画いたもので、旧澁谷の面影を偲ぶことが出来る。(「渋谷区史」より)
霊泉院所蔵の文化財
- 板碑
- 歴代頂相画 15幅 附 子順和尚像(渋谷区指定有形文化財)
- 木造十一面観音立像(渋谷区指定有形文化財)
霊泉院と大給恒の墓
板碑は鎌倉時代から江戸時代のはじめごろの間に作られました。関東ではおもに、秩父産の緑泥片岩を原材料として創られた典型的な板状塔婆です。板碑の一般的な特徴は、頭部を山形にし、二段の切り込み(二条線)の下に本尊としての仏像または梵字の種字が彫られ、造立年代・願文・偈文などが刻まれている点です。
この板碑は、上部の横線の下に天蓋と阿弥陀の種字、その下に蓮台を刻み、明徳五年(1394)五月二十九日という造立年月日と、供養の文字が彫りこまれています。
文書史料の少ない渋谷区の中世史研究にとって、この板碑は欠くことのできない大切な史料です。(渋谷区教育委員会掲示より)
霊泉院の周辺図