寶珠山福泉寺|紀伊殿の妾円住院が中興開基
福泉寺の概要
天台宗寺院の福泉寺は、寶珠山智明院と号します。福泉寺の創建年代等は不詳ながら、浄土宗だった当寺を、紀伊殿の妾円住院が中興開基となり、正保元年(1645)に天台宗に改めたといいます。
山号 | 寶珠山 |
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院号 | 智明院 |
寺号 | 福泉寺 |
住所 | 渋谷区代々木5-2-1 |
本尊 | 釈迦如来 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 代々木八幡宮のもと別当寺 |
※御朱印はいけみずさんより寄贈
福泉寺の縁起
福泉寺の創建年代等は不詳ながら、浄土宗だった当寺を、紀伊殿の妾円住院が中興開基となり、正保元年(1645)に天台宗に改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による福泉寺の縁起
福泉寺
天台宗江戸山王(山王日枝神社)別当観理院末。寶珠山智明院と号す。当寺古は浄土宗なりしを、中興開山傳誉住職たりし時、正保元年故有て今の宗門に改む。中興開基は、紀伊殿の妾にて、法名法名円住院と号す。山田右衛門政秀の女なりと云。元禄3年歿す。本尊薬師、寛文12年円住院の寄附する所と云。
鐘楼、享保4年鋳造の鐘なり。
観音堂、十一面観音、木の立像を安置す。長4尺余、安阿弥の作。(新編武蔵風土記稿より)
「渋谷区史」による福泉寺の縁起
福泉寺(代々木本町七三八番地)
寶珠山智明院という。山王別当觀理院末。代々木八幡の別当寺であつた。起立は詳でない。「新編武蔵風土記稿」に、
「当寺、古は浄土宗なりしを、中興開山伝誉住職たりし時、正保元年、故有て今の宗門に改む。中興開基は、紀伊殿の妾にて、法名円住院と号す。山田右衛門政秀の女なりと云。元禄三年歿す。本尊薬師。寛文十二年円住院の寄附する所と云。」
と見えている。本尊は薬師如来。境内に鐘楼(梵鐘の銘は享保四年)観音堂焔魔堂があつた。明治元年、神仏分離の際、代々木八幡の別当を罷め、その後次第に衰えて、鐘楼以下は、取毀されたが、観音堂の十一面観音は、本堂に安置せられている。現在の境内千四百五坪、本堂は大正七年に改築して今次事変まで存した。
〇斎藤彌九郎の墓
彌九郎、名は善道篤信斎と号した。江戸時代末期の劔客。はじめ道場を飯田町に開き、尋で麹町三番町に移した。門に入るもの三千余人。就中木戸孝光、高杉晋作等が尤も有名である。夙に国事の為に奔走し、交遊に知名の士が多い。維新の後会計官権判事、造幣局権判事を歴任、明治四年十月二十四日歿す。年齢七十四。代々木の別邸内に葬る。後り小石川昌林院に移葬し、明治三十八年更に福泉寺に移した。なほ彌九郎と代々木との関係は名所旧蹟の条に記してある。
正面に篤信斎斎藤先生之墓とあり、右側に贈従四位、明治四十年五月廿七日、墓標と並んで明治四辛未年十月二十四日とある。(「渋谷区史」より)
福泉寺の周辺図