袖ヶ崎神社|忍田稲荷大明神と称して創建
袖ヶ崎神社の概要
袖ヶ崎神社は、品川区東五反田にある神社です。袖ヶ崎神社は、忍田稲荷大明神と称して保延元年(1137)に創建、明治維新後袖ヶ崎神社と改称したといいます。
社号 | 袖ヶ崎神社 |
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祭神 | 豊受姫神(稲荷神)、天照皇大神(神明様)、誉田別尊(八幡様)、菅原道真命(天神様)、武甕槌命(鹿島様)、経津主命(香取様)、塩槌翁命(塩竃様)、市杵島姫命(弁天様) |
相殿 | - |
境内社 | 祖霊社、直正神社 |
住所 | 品川区東五反田3-6-20 |
備考 | - |
袖ヶ崎神社の由緒
袖ヶ崎神社は、忍田稲荷大明神と称して保延元年(1137)に創建、明治維新後袖ヶ崎神社と改称したといいます。
境内掲示による袖ヶ崎神社の由緒
社は東五反田三丁目、四丁目の一部の鎮守社で元忍田稲荷大明神(しのだいなり)と称し保延元年(1137)京都稲荷山より奉斎されました。其後康永3年(1344)越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮の神主山口直可の次男直正が東国へ下向し、当社の神主となり爾来現在まで22台累代宮司として奉仕して居ります。真正が神主となった時、神明宮を社の南の方へお祀りして当所の地名を以って袖ヶ崎神明宮と奉称、又八幡宮を祀り其後元禄年中に天満宮を正徳年中に塩竃大神をお祀りしました。又厳島大神(弁天様)は東都歳時記に云う御府内弁財天百社番外の4番でありました。
明治維新の際、袖ヶ崎神社と改称されました。
当社は徳川三代将軍家光を始め伊達家細川豊前守等多数諸侯の崇敬あり、古蹟社と称されて寺社奉行直支配でありました。御社殿は江戸時代以来大東亜戦争罹災まで4度類焼、昭和32年氏子諸氏の奉賛により仮社伝が竣工、昭和42年6月社前の中原街道の拡幅に伴い境内整備と共に社伝其他を新築しました。
末社祖霊社、真正神社、神社祭祀に功のあった山口直正命が祀られております。(境内掲示より)
東京都神社名鑑による袖ヶ崎神社の由緒
当神社はもと忍田稲荷大明神と称し、保延三年(一一三七)二月鎮斎され、のち、康永三年(一三四二)越前国丹生郡小川村の鎮守八幡宮の神主山口直奇の次男直正が東国へ下向し、当神社の神主となった。この時直正累代の守護神、神明宮を社の南方へ勧請し、地名をもって袖ケ崎神明宮と奉称、明治に至るまで忍田稲荷と称していたが、その後、袖ケ崎神社と改め、現在におよんでいる。去る昭和二十年五月の戦災により、社殿・社務所・末社等一宇も残さず焼失した。(東京都神社名鑑より)
袖ヶ崎神社の周辺図
参考資料
- 東京都神社名鑑