白玉稲荷神社|清伝寺境内に祀られていた社、大井村七稲荷
白玉稲荷神社の概要
白玉稲荷神社は、品川区東大井にある稲荷神社です。白玉稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、清伝寺境内に祀られていたといいます。神仏分離令により明治5年当地へ遷座、大井村七稲荷の一つだといいます。清伝寺は福田山と号す曹洞宗の寺院で、現鮫浜小学校の地にありましたが、明治7年廃寺となり、品川天龍寺に合併されています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦之売命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 品川区東大井2-9-15 |
備考 | - |
白玉稲荷神社の由緒
白玉稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、清伝寺境内に祀られていたといいます。神仏分離令により明治5年当地へ遷座、大井村七稲荷の一つだといいます。清伝寺は福田山と号す曹洞宗の寺院で、現鮫浜小学校の地にありましたが、明治7年廃寺となり、品川天龍寺に合併されています。
東京都神社名鑑による白玉稲荷神社の由緒
本神社は、また白玉稲荷として知られ、もと清伝寺境内にお祀りしてあったが、後世現在のところに移し奉った。旧記に大井村七稲荷の一つとして伝えている。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による白玉稲荷神社の由緒
(大井村)清傳寺
境内除地九畝五歩、小名御林町にあり、是も天龍寺の末なり、福田山と號す、開山は中聞く寶傳和尚のよし起立の年月を詳にせず、二世を授眼清傳和尚と稱す、寛文元年三月十九日に寂せり、本尊釋迦如来客殿に安ず。
稲荷社。白玉稲荷と稱す。(新編武蔵風土記稿より)
「大井町史」による白玉稲荷神社の由緒
白玉稲荷神社は、御林町百六番地に在り、元清傳寺境内に在つたものが、明治五年神佛混淆の禁令が發布せらるると同時に、現在の所に移したもので、舊記に大井村七稲荷の一とある、無格社であつて、祭神は、宇迦之御魂命である。祭禮は毎年二月初午の日に行はわて居る。(「大井町史」より)
白玉稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「東京都神社名鑑」
- 新編武蔵風土記稿
- 「大井町史」