京極稲荷神社|品川区小山の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

京極稲荷神社|丸亀藩京極氏の邸内社

京極稲荷神社の概要

京極稲荷神社は、品川区小山にある稲荷神社です。京極稲荷神社は、丸亀藩(京極氏)の邸内社として寛永12年(1635)創建したといい、明治維新後に当地にあった下屋敷が引き払われて以降、地元有志で管理されているといいます。

京極稲荷神社
京極稲荷神社の概要
社号 京極稲荷神社
祭神 豊受大神
相殿 -
境内社 -
住所 品川区小山2-15
備考 -



京極稲荷神社の由緒

京極稲荷神社は、丸亀藩(京極氏)の邸内社として寛永12年(1635)創建したといい、明治維新後に当地にあった下屋敷が引き払われて以降、地元有志で管理されているといいます。

品川区教育委員会掲示による京極稲荷神社の由緒

丸亀藩京極家下屋敷跡
京極家は、讃岐国(香川県)丸亀藩五万二千石の藩主で、江戸屋敷のうち上屋敷と中屋敷は現在の港区内にあり、下屋敷は二ヵ所をかまえ「白金屋敷」(港区)と「戸越屋敷」と呼ばれていました。
戸越屋敷は現在の品川区小山二丁目十四番から十七番付近にあり、寛文六年(一六六六)二代藩主の京極高豊の時に取得し、敷地面積約八、四〇〇坪(約二万七千平方メートル余)と広大なものでした。
この屋敷からは、野菜や薪を上屋敷などに供給していたことから、京極家と地元農民は結びつきが強かったと伝えられ、明治初年に京極家の手を離れた後も、同家の屋敷内にあった京極稲荷神社は今も地元有志によって守られています。(品川区教育委員会掲示より)

境内掲示による京極稲荷神社の由緒

京極稲荷神社の草創は、約三百六十年前の寛永十二年(一六三五年)に始まります。
四国の讃岐丸亀五萬二千石の城主、京極家は、上屋敷は虎ノ門、下屋敷は二箇所に所有し、白金三光町と当地にありました。当地の屋敷は敷地面積八千四百坪に及ぶ広大なものでした。
当稲荷神社のご神体は、豊受大神と申され、京都、伏見稲荷の分神とも伝えられています。
京極家の守護神として、現在の小山二丁目十六番地辺りの茶畑の一隅に十二坪の神殿を構えていました。
明治四年の廃藩置県で藩地奉還の世となり、京極家は当神社の管理を地域住民に委ねて帰国しました。
大正七年二月に、地域の有志がこの境内地を譲り受け、神社を移して奉祀しました。(境内掲示より)


京極稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 「品川区の文化財」
  • 東京都神社名鑑