皆中稲荷神社|新宿区百人町の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

皆中稲荷神社|鉄砲隊百人組等崇敬

皆中稲荷神社の概要

皆中稲荷神社は、新宿区百人町にある稲荷神社です。皆中稲荷神社は、天文2年(1533)に創建されたといいます。寛永11年(1634)の江戸城拡張に伴い鉄砲隊百人組が当地に屋敷地を支給された頃より、ゲンを担いて皆中稲荷と呼ばれるようになったといいます。

皆中稲荷神社の概要
社号 皆中稲荷神社
祭神 宇迦能御魂大神
相殿 -
境内社 開運稲荷神社、百人辨天社、三峯神社、御嶽神社
祭日 鉄砲組百人隊行列、平成奇数年の9月第2日曜日
住所 新宿区百人町1-11-16
備考 -



皆中稲荷神社の由緒

皆中稲荷神社は、天文2年(1533)に創建されたといいます。寛永11年(1634)の江戸城拡張に伴い鉄砲隊百人組が当地に屋敷地を支給された頃より、ゲンを担いて皆中稲荷と呼ばれるようになったといいます。

新編武蔵風土記稿による皆中稲荷神社の由緒

稲荷社
諏訪村諏訪明神(現諏訪神社)の末社なりしを、萬冶年中当所へ移せしと云。大乗院持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による皆中稲荷神社の由緒

皆中稲荷神社は天文二年(一五三三)九月二十七日武蔵国躑躅ケ丘(現新宿区百人町二丁目)に鎮座以来約四百二十有余年になり、大久保発祥以来総社として鎮祭せられ深い由緒と古い歴史を有し、都下有数の神社として厚く氏子崇敬者の信仰を蒙り、深く親しまれてきた。寛永年間(一六二四-四四)幕府が鉄砲百人組をこの地に駐屯させてより、旗本や上下の士に篤く尊崇され、その間不思議の神託、霊夢等いくたの霊験によって世に「皆中の稲荷」と称され、爾来報恩感謝のため約百年間にわたり「百人組出陣の儀」が奉納されてきた。幕末から明治の初期にかけ、国情騒然として出陣の儀も中止の止むなきに至ったが、今度往古の盛儀を復興し鉄砲百人組出陣式を神前に奉納することになった。鉄砲隊百人組が当地に駐屯してからは、当社の崇敬ことのほか篤く広く、近在の旗本や上下の士の間にも尊崇されるに至った。ある時鉄砲隊与力が射撃の研究に精魂を傾けて一夜煩悶するまま眠りに落入ったところ、不思議にも稲荷の大神が夢枕に立ち、霊符を示された。翌朝不可解のまま社頭にお参りを済ませたのち、大矢場にて射撃を試みたところ、百発百中見事な進境に驚いたとのことである。この話が近郷近在に伝わり、旗本の士などきそって霊符を受けことごとく的中したといわれる。ただ射撃のみでなく願いごともと参詣者の数も日増しに多くなり、遂には皆中稲荷神社と崇敬されるようになった。現在当社には鉄砲隊百人組の奉献された鳥居・手水舎・燈籠が現存し、往古の面影を留めている。(東京都神社名鑑より)

ガイドブック新宿区の文化財による皆中稲荷神社の由緒

この社は天文2年(1533)にこの地に鎮座して大久保の鎮守となったという。寛永年間に、幕府が鉄砲百人組をこの付近に居住させたところから、皆中を「みなあたる」と読むことで縁起よいとされて、鉄砲組の信仰をえて、百人組出陣の儀が奉納されるようになったという。
家康の江戸入国当時は、鉄砲隊及び玉薬同心は四谷あたりに陣屋を構えて駐屯していたが、寛永11年(1634)の江戸城拡張にともなって、鉄砲組にも禄高と屋敷地が支給され、その多くが大久保・戸塚に住居していた。
鉄砲隊百人組がこの地に住むようになると、近在の旗本などの信者も多くなった。ある時、鉄砲隊与力の一人が射撃の上達を祈願したところ、その晩夢に稲荷があらわれた。翌朝、当社にお参りし、射撃を試みると百発百中であった。
この話が近在に伝わり、旗本などが競って守札をうけたといわれ、それから皆中稲荷と称されるようになったという。
同社では、鉄砲組百人隊との関係(氏子中には百人隊の子孫も数人いる)にもとづいて、昭和36年より、隔年の9月の第2日曜日に百人隊行列(区登録文化財)の祭礼を行なっている(平成奇数年に開催)。
同社は、第二次大戦で本殿を残して、その他の建物を焼失したので、伝来の武具や古文書を焼失してしまった。現在、それを補う意味と、百人隊行列を実行するために、多くの古銃と関係資料を収集している。(ガイドブック新宿区の文化財より)


皆中稲荷神社所蔵の文化財

  • 江戸幕府鉄砲組百人隊行列(新宿区登録無形民俗文化財)

江戸幕府鉄砲組百人隊行列

皆中稲荷神社の例大祭で隔年(平成は奇数年)に開催される行事で、江戸時代に現在の百人町一帯に屋敷を与えられていた幕府鉄砲組百人隊が、神社に奉納したと伝えられる出陣式を再現したもの。
当日は、甲冑に身を固めた武将が百人町周辺を隊列行進し、火縄銃を構えた鉄砲隊が、数ヶ所で古式にのっとり試射を行う。
鉄砲組は四組あり(百人町に住んだのは二十五騎組、別称大久保組)、通常は交替で江戸城大手三之門を警備した。また、将軍の寛永寺増上寺・日光東照宮参詣には護衛をした。
皆中稲荷神社は、鉄砲組から信仰された。ある隊士が稲荷の霊夢により百発百中の腕前に上達したことが起源という。皆中は「みなあたる」の意味がある。(新宿区教育委員会掲示より)


皆中稲荷神社の周辺図