月見岡八幡神社|新宿区上落合の神社

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月見岡八幡神社|源義家が奥州征伐の際に参詣、上落合村鎮守

月見岡八幡神社の概要

月見岡八幡神社は、新宿区上落合にある八幡神社です。月見岡八幡神社は、源義家が奥州征伐の際に参詣したと伝えられています。旧境内地に湧井があり、その水面に月光がきれいに写ったので月見岡八幡神社と称されるようになったといいます。明治39年に北野神社、昭和2年には浅間神社と富士塚を合祀しました。当所は上落合1-7八幡公園の地に鎮座していましたが、区画整理により当地へ遷座しています。

月見岡八幡神社
月見岡八幡神社の概要
社号 月見岡八幡神社
祭神 応神天皇、神功皇后、仁徳天皇
相殿 -
境内社 天祖神社、北野神社、浅間神社、笑福稲荷神社、足王神社、道祖神社
住所 新宿区上落合1-26-19
祭日 備射祭1月13日
備考 上落合村鎮守、八幡神社愛育園併設
月見岡八幡神社浅間神社


月見岡八幡神社の由緒

月見岡八幡神社は、源義家が奥州征伐の際に参詣したと伝えられています。旧境内地に湧井があり、その水面に月光がきれいに写ったので月見岡八幡神社と称されるようになったといいます。明治39年に北野神社、昭和2年には浅間神社と富士塚を合祀しました。当所は上落合1-7八幡公園の地に鎮座していましたが、区画整理により当地へ遷座しています。

新編武蔵風土記稿による月見岡八幡神社の由緒

(上落合村)
八幡社。
村の鎮守なり。春日稲荷を合祀れり。村内最勝寺持、以下三社並同じ。
末社。第六天、足尾権現。
太神宮。
天神社。
冨士浅間社、高さ2丈余の丘上にあり小名大塚と云。
姥神社、村民持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による月見岡八幡神社の由緒

社伝に、「源義家奥州征討以前の社にして、義家当社に参詣して戦捷の祈願あり。当時其手植せる松樹一幹、徳川氏の代いつの頃か枯死し、根幹のみ年久しく社殿背後に残存せし由也」とある。天保七年-同十一年(一八三六-四〇)にかけて、拝殿を建設、明治三十九年北野神社、昭和二年浅間神社を合併。この間、大正十三年に神楽殿・水舎・社務所を建設したが、昭和二十年五月の空襲により灰燼に帰した。(東京都神社名鑑より)

新宿区の文化財ガイドマップによる月見岡八幡神社の由緒

旧上落合村の鎮守社であり、もとは区立八幡公園(上落合1-7)周辺が境内地であった。しかし、都下水道局落合処理場が建設され、境内がその用地に組み込まれることになったため、昭和36-37年に近隣の公園と社地を交換し、現在地へ遷座した。
祭神は応神天皇・神功皇后・仁徳天皇であり、境内社として明治39年に北野神社、昭和2年には浅間神社と富士塚(山手通りと早稲田通りの交差点、現在の上落合2-28付近にあった)を合祀した。
創建年代ははっきりしないが社伝に源義家が奥州征伐の時参詣し、戦勝を祈念して松を植えたとの伝承がある。社名の由来は、旧境内地に湧井があり、その水面に月光がきれいに写ったので村人が自然にそう呼んだという。
本社は第二次大戦の戦災で大きな被害をうけているが、宮司の努力で、上落合村明細帳ほか数点の古文書が保存されている。
境内には旧社地からの石造品がそのまま移されており、正保4年(1647)の宝篋印塔型の庚申塔【区指定文化財】は、区内では最古のものであり、珍しいものである。また、天明5年(1785)の銘をもつ鰐口と、旧社殿の格天井の板絵の一枚であった谷文晃の絵は、ともに【区登録文化財】となっている。
境内左手奥にある富士塚は、もともとは、前述のとおり浅間神社にあり、大塚という古墳を利用して造られたもので、「落合富士」といわれた。寛政2年(1790)に造られたが、昭和2年の同社の移転時にとりこわされて当社の旧社地に移築された。かつては、上落合・下落合・中井・西落合(葛谷)などに広がる月三落合惣元講という講中があったが、現在は活動していない。しかし山開きの行事だけは、毎年七月中旬に行われている。
上落合には、かつての農村の面影をのこす餅つき唄【区登録文化財】も保存されているが、毎年2月の二の午に近い日曜日、当社の餅つきの際に唄われることになっている。(新宿区の文化財ガイドマップより)


月見岡八幡神社所蔵の文化財

  • 月見岡八幡神社の庚申塔(新宿区指定有形民俗文化財)
  • 谷文晁の絵(新宿区登録有形民俗文化財)
  • 月見岡八幡神社の鰐口(新宿区登録有形民俗文化財)
  • 餅つき唄(新宿区登録無形民俗文化財)

月見岡八幡神社の庚申塔

正保4年(1647)に造立された区内最古の庚申塔である。宝篋印塔形で、高さ184.5cm、石質は安山岩である。
塔身部の四面にはそれぞれ金剛界四仏の種子が、また基礎部の四面には造塔銘が刻まれている。(新宿区教育委員会掲示より)

谷文晁の絵

月見岡八幡神社旧社殿の格天井に描かれていた板絵三十数枚のうちの一枚で、縦43.6cm、横42cmの方形の板に描かれた円形(径35.2cm)の絵で、春の野の早蕨が彩色により描かれている。作者は江戸後期の画家谷文晁(1763-1840)と伝えられる。なお、この一枚は、取外されていたため戦災をまぬがれた。(新宿区教育委員会掲示より)

月見岡八幡神社の鰐口

天明5年(1785)上落合村氏子により奉納されたもので、江戸時代の典型的な銅製の鰐口(社寺の礼拝所にかけ縄等で打ち鳴らす法楽器)である。長径35cm、短径30cm、厚さ11.3cm、左右中央に幅6.4cmの目が出ている。
明治以後紛失していたが、昭和初年に北海道で地方巡業の芝居一座が使用しているのが発見され、再度奉納されたものである。(新宿区教育委員会掲示より)


月見岡八幡神社の周辺図