早稲田天祖神社|当地に住み着いた豊臣家の遺臣小泉源兵衛が創建
早稲田天祖神社の概要
早稲田天祖神社は、新宿区西早稲田にある天祖神社です。早稲田天祖神社は、当地に住み着いた豊臣家の遺臣小泉源兵衛が、当地を源兵衛村として開拓、正保2年(1645)に創建したといいます。当時の別当寺は神霊山金乗院で、境内に祀っていた諏訪神社(祭神建御名方命)、須賀神社(祭神須佐之男命)、稲荷神社(祭神倉稲魂命)、厳島神社(祭神市杵嶋姫命)の四祭神を、明治27年(1894)に合祀しています。
社号 | 天祖神社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | 建御名方命、須佐之男命、倉稲魂命、市杵嶋姫命 |
境内社 | - |
住所 | 新宿区西早稲田3-17 |
祭日 | - |
備考 | 旧源兵衛村鎮守 |
早稲田天祖神社の由緒
早稲田天祖神社は、当地に住み着いた豊臣家の遺臣小泉源兵衛が、当地を源兵衛村として開拓、正保2年(1645)に創建したといいます。当時の別当寺は神霊山金乗院で、境内に祀っていた諏訪神社(祭神建御名方命)、須賀神社(祭神須佐之男命)、稲荷神社(祭神倉稲魂命)、厳島神社(祭神市杵嶋姫命)の四祭神を、明治27年(1894)に合祀しています。
境内掲示による早稲田天祖神社の由緒
天祖とは「アマツミオヤ」とも読み極めて尊い神のことで、天皇の遠祖です。古典には彦火瓊杵尊を天祖と称することもあります。
天照大神、高皇産霊神、国常立神と称することもありますが、後世に至って、専ら天照大神を天祖と申し上げるようになりました。
江戸時代には神明宮、神明神社と称していましたが、明治3年(1780)の大教宣布により、天祖神社と改められました。
慶応3年(1867)迄は、豊島郡高田村真言宗新義派神霊山金乗院が、別当寺となっていました。
この天祖神社は豊臣家の遺臣、小泉源兵衛が大阪夏の陣、元和元年(1615)の戦いに敗れ、この地に隠れ住み、荒地を拓き、伊勢の内宮、外宮に参籠して霊感を受け、正保2年(1645)にこの神社を創祀されました。
境内には、諏訪神社(祭神建御名方命)、須賀神社(祭神須佐之男命)、稲荷神社(祭神倉稲魂命)、厳島神社(祭神市杵嶋姫命)の四祭神が祀ってありましたが、明治27年(1894)4月、本社普請の時に、合祀されました。その後、大正11年(1922)奥殿、拝殿、神輿倉、神楽殿が改築され、昭和63年(1988)本殿の床上げの修復と神楽殿のみがき石材による玉垣が新調されました。
天祖神社が創祀されて以来、357年の間、銀杏、欅の大樹の神木と共に、ここに住む人々を見守りながら参拝する人の心の支えとなって来ました。
平成14年9月4日 天祖神社保存会、源兵衛村研究会
付記
源兵衛村は江戸文政年間(1816-1830)の戸数28戸、人口約100人、明治5年(1872)の戸数38戸、人口165人でありました。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による早稲田天祖神社の由緒
(源兵衛村)神明社
村の鎮守なり。下高田村金乗院持下持同し。
末社。天王、稲荷、弁天。(新編武蔵風土記稿より)
早稲田天祖神社の周辺図