神霊山金乗院|江戸五色不動の目白不動、御府内八十八ヶ所、江戸三十三観音、関東三十六不動
金乗院の概要
真言宗豊山派の金乗院は、神霊山金乗院慈眼寺と号します。金乗院は、天正年間(1573-92)に開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされます。第二次世界大戦で焼失した目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)を合寺しています。御府内八十八ヶ所霊場38番札所、江戸三十三観音霊場14番札所、関東三十六不動霊場14番、東京三十三観音霊場23番札所で、江戸五色不動の目白不動が祀られています。
山号 | 神霊山 |
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院号 | 金乗院 |
寺号 | 慈眼寺 |
住所 | 豊島区高田2-12-39 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 江戸五色不動の目白不動、江戸三十三観音14番札所、御府内八十八ヶ所霊場38番札所、関東三十六不動霊場14番札所、東京三十三観音霊場23番 |
金乗院の縁起
金乗院は、天正年間(1573-92)に開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが創建とされます。第二次世界大戦で焼失した目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)を合寺しています。
新編武蔵風土記稿による金乗院の縁起
(下高田村)金乗院
新義真言宗多磨郡中野村寶仙寺末、神靈山観音院と號す、本尊正観音長一寸八分眦首羯摩作開山永順文禄三年六月四日寂。
御嶽社、辨天社、三峯社。
観音堂。荒神を合殿とす、観音は木の立像長三尺運慶の作と云。
鐘楼。寶暦八年鑄造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)
豊島区教育委員会掲示による金乗院の縁起
金乗院は真言宗豊山派の寺院で、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創とされています。永順の没年は文禄3年(1594)6月であることから、それより以前、天正年間(1573-92)の創建と考えられます。当所は蓮花山金乗院と称し、中野宝仙寺の末寺でしたが、のちに神霊山金乗院慈眼寺と改め、護国寺の末寺となりました。
江戸時代には近辺の此花咲耶姫社などの別当でしたが、昭和20年4月の戦災で本堂等の建物や、水戸光圀の手になるという此花咲耶姫の額などの宝物は焼失しました。現在の本堂は昭和46年に再建され、平成15年に全面改修されました。
目白不動堂(東豊山浄滝院新長谷寺)は、元和4年(1618)大和長谷寺代世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、昭和20年5月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。
目白不動明王は、江戸守護の江戸五色不動(青・黄・赤・白・黒)の随一として名高く、目白の号は寛永年間(1624-44)に三代将軍徳川家光の命によるといわれています。
墓地には槍術の達人丸はし忠弥、青柳文庫を創設した青柳文蔵などの墓があり、境内には寛文6年(1666)造立の倶利伽羅不動庚申塔をはじめ、寛政12年(1800)造立の鍔塚など多くの石造物があります。(豊島区教育委員会掲示より)
金乗院の周辺図