おとめ山公園|新宿区下落合の名所旧跡
おとめ山公園の概要
おとめ山公園は、新宿区下落合にある名所旧跡です。おとめ山公園は、江戸期将軍家の狩猟地で「御留山」に起因して付けられた名だといいます。明治維新後、近衛家の所有地になり、大正年間に(相馬藩出身)相馬家がおとめ山公園西側部分を取得、長岡安平が設計した池泉を中心とした回遊式庭園を築造し、現在の原型となっているといいます。戦後は大蔵省の所有となっていたものの、昭和44年に新宿区立おとめ山公園として開園、園内の湧水は「東京都の名湧水57選」に選定されています。当地周辺は、江戸時代よりホタル狩りの名所として知られ、江戸名所図会にも描かれていましたが、開発に伴いホタルは姿を消してしまったことから、昭和48年からこの公園でホタルが飼育されています。
名称 | おとめ山公園 |
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みどころ | ホタル、頂上よりの景色 |
開園時間 | 07:00~19:00(12月から3月までは17:00閉園) |
住所 | 新宿区下落合2-10 |
備考 | - |
おとめ山公園の由緒沿革
おとめ山公園は、江戸期将軍家の狩猟地で「御留山」に起因して付けられた名だといいます。明治維新後、近衛家の所有地になり、大正年間に(相馬藩出身)相馬家がおとめ山公園西側部分を取得、長岡安平が設計した池泉を中心とした回遊式庭園を築造し、現在の原型となっているといいます。戦後は大蔵省の所有となっていたものの、昭和44年に新宿区立おとめ山公園として開園、園内の湧水は「東京都の名湧水57選」に選定されています。当地周辺は、江戸時代よりホタル狩りの名所として知られ、江戸名所図会にも描かれていましたが、開発に伴いホタルは姿を消してしまったことから、昭和48年からこの公園でホタルが飼育されています。
境内掲示によるおとめ山公園の由緒沿革
新宿区立おとめ山公園の沿革
江戸時代には、このあたり一帯をおとめ山と呼んでいました。この名は、将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止の意味の御留山から起こったものと言われています。
明治に入り、御留山の周辺は近衛家の所有になりましたが、大正初期に現在のおとめ山公園を含む西側半分を相馬家が取得し住まいとしました。相馬家は敷地内に長岡安平の手になる池泉を中心とした回遊式庭園を築造し、現在その一部が公園に残っています。
その後、敷地は分譲され、戦後は大蔵省が所有していましたが、荒れ果てていたものを、地元の人々が大蔵省に陳情して、公園として整備されることになり、昭和44年に新宿区立おとめ山公園(面積約1.5ha)として開園しました。
その後、区は、公園のみどりや湧水の保全拡充を図るとともに、あわせて、地域のレクリエーションの場や防災拠点を創出するため、隣接地を取得して公園を拡張することとしました。そして、平成26年10月、拡張整備が完了し面積2.7haの現在の公園になりました。(境内掲示より)
境内掲示によるおとめ山公園の由緒沿革
おとめ山公園と相馬邸
おとめ山公園周辺は、大正時代初期に相馬中村藩の藩主をつとめた相馬家が取得し、住まいとしました。
相馬邸は現在のおとめ山公園を含む広大な敷地を有しており、敷地の北側には「黒門」と呼ばれる立派な正門がありました。大正3年(1914年)に長岡安平が設計した敷地内の庭園は、松林や既存樹林を取り入れた回遊式の庭園となっており、芝の大斜面地や湧水を活かした流れなどがありました。流れは現在も同じ位置にあり、おとめ山公園の原型はこの時期に作られたと言えるでしょう。(境内掲示より)
おとめ山公園所蔵の文化財
- 落合ほたる
おとめ山公園とホタル
おとめ山公園周辺は、かつてはホタル狩りの名所として知られていました。
江戸名所図会の「落合蛍」には江戸時代のホタル狩りの様子が描かれています。この図会は、東山藤稲荷か、おとめ山付近を描いたものと思われます。
また、江戸自慢三十六興の「落合ほたる」からもホタルを楽しんでいた当時の様子がうかがい知れます。
このように、かつて、この地がホタルの名所であったことから、新宿区では、昭和48年からこの公園でホタルの飼育を始め、昭和53年からは毎年ホタル観賞会を開きました。
その後、平成13年に地元の「落合蛍を育てる会」の方々に引継ぎ。現在は地域の方々の手によって活動が続けられています(境内掲示より)
おとめ山公園の周辺図