東山藤稲荷神社|六孫王源経基が勧請、おとめ山
東山藤稲荷神社の概要
東山藤稲荷神社は、新宿区下落合にある神社です。東山藤稲荷神社は、清和源氏の祖六孫王源経基が、延長5年(927)に京都稲荷神社を勧請して、東国源氏の氏神として祀ったと伝えられています。境内に大きな藤の木があったことから藤森稲荷とも称されたといいます。藤稲荷神社、富士稲荷神社とも呼ばれ、おとめ山公園隣にあります。
社号 | 東山藤稲荷神社 |
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祭神 | 宇伽之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 新宿区下落合2-10-5 |
備考 | 旧別当:最勝寺 |
東山藤稲荷神社の由緒
東山藤稲荷神社は、清和源氏の祖六孫王源経基が、延長5年(927)に京都稲荷神社を勧請して、東国源氏の氏神として祀ったと伝えられています。境内に大きな藤の木があったことから藤森稲荷とも称されたといいます。
境内掲示による東山藤稲荷神社の由緒
当社は、かつて此の地方を統治された、清和天皇の皇孫源経基という御方が、今より約一千百年前、延長5年初午の日に京都稲荷山より勧請御遷宮申し上げた御社であり、「藤稲荷神社」「富士稲荷神社」とも申し上げております。 当社は源経基を始め、源家一族の守神として大変厚く信仰されました。その由縁は、当時平将門が反逆を企てた折、当東山稲荷の大神様よりその旨御神託あり、経基は早速忍者を走らせ調査した処御神託の通りだったため、帝の許しを頂き、これを平定致しました。この功により、帝より源姓を賜った経基は、以来東山稲荷神社を源氏の氏神様として一族で崇敬することとしたと伝えられております。 やがて時代の流れと共に、武家のみならず庶民の信仰も厚くなり、「知恵と勇気」を御授け下さる福徳の神様として、その信仰者は農商業、芸能方面と広く江戸市中関東一円に増えていったとのことです。(東山藤稲荷神社掲示板より)
新宿区の文化財による東山藤稲荷神社の由緒
東山稲荷・藤森稲荷とも呼ばれる。社伝によれば、清和源氏の祖六孫王源経基が京都の稲荷神を勧請して、東国の源氏の氏神として祀ったという伝承がある。
もとは現在地の坂下(下落合2-10-7付近、記念碑が建っている)にあったが、第二次大戦で焼失し、昭和28年現在地へ移転した。「江戸名所図会」には旧社地での様子が図示されており、それによると堂舎もいくつかあり、かなりの神社であったことがわかる。また、藤の大木があったため社名の由来となった。
境内には文化15年(1818)に奉納の神狐一対と、寛延3年(1750)と天保9年(1838)に奉納された二つの水鉢がある。(新宿区の文化財より)
東京都神社名鑑による東山藤稲荷神社の由緒
清和天皇の後胤経基王が当地に居住され、延長五年(九二七)京都稲荷山より勧請御遷宮、源氏一族の守護神として崇敬された。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による東山藤稲荷神社の由緒
(下落合村)稲荷社三。
一は藤稲荷と云、山上にあり。喬木生茂れり近き頃鳥居の傍に瀧を設て、垢離場とす。薬王院持。二は上落合村最勝寺持。(新編武蔵風土記稿より)
東山藤稲荷神社の周辺図