円通山安禅寺|山の手三十三観音霊場
安禅寺の概要
天台宗寺院の安禅寺は、円通山正受院と号します。安禅寺は、日蓮宗安善寺と号して慶長13年(1608)麹町清水谷に創建、寛永11年(1634)当地へ移転、法印堯観(元禄8年1695年寂)が宗旨を天台宗に改めて中興したといいます。
山号 | 円通山 |
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院号 | 正受院 |
寺号 | 安禅寺 |
住所 | 新宿区愛住町9-3 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 山の手三十三観音霊場25番 |
安禅寺の縁起
安禅寺は、日蓮宗安善寺と号して慶長13年(1608)麹町清水谷に創建、寛永11年(1634)当地へ移転、法印堯観(元禄8年1695年寂)が宗旨を天台宗に改めて中興したといいます。
「四谷區史」による安禅寺の縁起
圓通山正受院安禅寺、市谷自證院末の天台宗、四谷北寺町今の愛住町所在の寺院である。境内古跡拝領地五百九十八坪、慶長十三年戊申に麹町清水谷に起立し、寛永十一年甲戌四谷に移轉した。開山は日蓮宗と傳へるのみで名も寂年月も知られない。中興台宗の開基は法印堯觀で、元禄八年乙亥廿五日寂した。寺名安禅は往古安善と書いた、何年頃から禅字を用ひたか不明であるが、寛延以後は正確に禅字を用ひた記録があるので、文化十年癸酉五月寺社奉行の吟味の時に禅字に決定したといふ。慈覺大師作の觀音がある、山手丗三所廿五番の札所として世に知られた。(「四谷區史」より)
安禅寺所蔵の文化財
- たんきり子育地蔵
境内掲示によるたんきり子育地蔵尊縁起
大地がすべてのものを育てるようお地蔵様は常にこの世の人たちを守り育てて下さいます。
このお地蔵さまはたん切り子育てのお地蔵さまで子供のセキや老人のゼンソクのタンをきれない方が信仰すると効能がある霊験あらたかなお地蔵様です。
その昔慶長13年真言僧行善によってこの寺が現在の和田倉門附近に創建された時から門前に安置されていた。
その後江戸城の拡張工事があり寛永11年(1634)に安禅寺が現在地に移転した際にこのお地蔵様も一緒に引っ越して来ました。
降って幕末に近い安政6年の青山恩田の大火、大正12年の関東大震災に遭いその都度修復されて信仰を広めて参りましたが近くは第二次世界大戦末期の昭和20年5月25日夜、お寺と共に焼失してしまいました。
ところが形ある即ちお地蔵様の石の御神体は亡びたが形なき者即ちお地蔵様の大慈大悲の御精神は亡びなかった。何故ならば、今またここにご縁ある人々の努力によって立派に復元建立された人々に篤く信仰されています。(境内掲示より)
安禅寺の周辺図