宝林山養国寺|新宿区愛住町にある曹洞宗寺院
養国寺の概要
曹洞宗寺院の養国寺は、宝林山と号します。養国寺は、祥巌存吉和尚(慶長19年1614年没)が開山となり、慶長7年(1602)麹町に創建、位慶春的和尚(寛文7年1667年没)を開基とするといいます。外堀建造に伴い寛永11年(1634)当地へ移転したといいます。
山号 | 宝林山 |
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院号 | - |
寺号 | 養国寺 |
住所 | 新宿区愛住町21 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
養国寺の縁起
養国寺は、祥巌存吉和尚(慶長19年1614年没)が開山となり、慶長7年(1602)麹町に創建、位慶春的和尚(寛文7年1667年没)を開基とするといいます。外堀建造に伴い寛永11年(1634)当地へ移転したといいます。
御府内寺社備考による養国寺の縁起
四谷北寺町龍昌寺末 四ツ谷北寺町
宝林山養国寺、境内拝領地二千百十二坪半
開闢起立之儀者慶長七壬寅年麹町十一丁目ニ本院内相建仕其後四ツ谷御城御普請ニ付御用地ニ被取上寛永十一甲戌年十二月為替地只今之処拝領仕候。
開山祥岩存吉和尚慶長十九甲寅年十月十五日示寂。
開基位慶初的和尚寛文七丁未年七月十六日寂。
本堂、間口七間奥行五間。本尊釈迦木座像、長九寸。(御府内寺社備考より抜粋)
「四谷區史」による養国寺の縁起
寶林山養國寺と號して、四谷北寺町龍昌寺末の曹洞宗で、亦北寺町今の愛住町に在る。境内拝領地貮千百拾貮坪。慶長七年壬寅麹町十一町目に起立した。四谷の外濠掘鑿の時用地として返還を命ぜられ、寛永十一年甲戌十二月四谷に替地を賜つたのが今の寺地である。
開山は祥巌存吉和尚、慶長十九年甲寅十月十五日に示寂した。開基を位慶春的和尚と云つて寛文七年丁未七月十六日に入滅した。位牌堂の右脇に丈壹尺の木坐僧を安置したのが開山で、左脇安置の丈八寸の木座像は開基である。唯春的を開基とする由緒は不明であると文政寺社書上に見える。(「四谷區史」より)
養国寺の周辺図