照臨山多聞院|御府内八十八ヵ所霊場
多聞院の概要
真言宗豊山派寺院の多聞院は、照臨山吉祥寺と号します。多聞院の創建年代等は不詳ながら覺祐上人(天正年間寂)が法流開山したといい、慶長12年(1607)平河(千代田区)から牛込外濠近くに移転、寛永12年(1635)弁天町へ移転したといいます。当寺の正等和尚(1703-1774)は、御府内八十八ヶ所霊場を開創したといい、御府内八十八ヵ所霊場31番となっています。
山号 | 照臨山 |
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院号 | 多聞院 |
寺号 | 吉祥寺 |
本尊 | 大日如来像 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
住所 | 新宿区弁天町100 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
多聞院の縁起
多聞院の創建年代等は不詳ながら覺祐上人(天正年間寂)が法流開山したといい、慶長12年(1607)平河(千代田区)から牛込外濠近くに移転、寛永12年(1635)弁天町へ移転したといいます。
「牛込區史」による多聞院の縁起
昭林山吉祥寺多聞院 新井總持寺末
年代不詳、平河口に起立、慶長十二年牛込門外外濠通りに移轉、寛永十二年辨天町に移つた。法流開山覺祐上人、天正年中遷化。中興開山覺彦律師。舊境内拝領地千九百廿五坪。(「牛込區史」より)
多聞院所蔵の文化財
- 松井須磨子の墓及び比翼塚
- 生田春月の詩碑
- 吉川湊一の墓(新宿区登録史跡)
- 御府内八十八ヵ所霊場開基正等和尚の墓、記念碑
吉川湊一の墓
江戸後期に平家琵琶の奥義を極め、検校にまで昇進した吉川湊一(1748-1829)の墓所。
湊一は紀州熊野の生まれ。幼い時に失明。八重橋検校に入門し、平家琵琶を習得する。やがてその名人となり、寛政六年(1794)には検校に昇進。文政九年(1812)全国の検校を統括する職検校にまで昇りつめた。この時期、湊一は平家琵琶の第一人者として重きをなした。
平家琵琶とは、「平家物語」を琵琶の前奏で語る伝承芸能で、平局・平家・平家詞曲ともいう。検校は、平家琵琶語りの組織「当道座」の最高位にあたる。
湊一は、職検校在任中京都で暮らしたが、文政十一年に退隠して江戸に下り牛込に居を構え、翌年亡くなった。
墓石は高さ121.5㎝。側面から裏面にかけて、湊一の出自と経歴が刻まれている。(新宿区教育委員会掲示より)
多聞院の周辺図