栄古山香蓮寺|新宿区南元町にある浄土宗寺院
香蓮寺の概要
浄土宗寺院の香蓮寺は、栄古山常行院と号します。香蓮寺は、紀州藩徳川賴宣に仕えていた阿茶(明蓮社玉誉香蓮尼)が老後に剃髪して出家、開基となり青山に寛永5年(1628)創建、深川靈巌寺で修行していた静蓮社寂誉善了が開山したといいます。寛永12年(1635)当地へ移転しています。
山号 | 栄古山 |
---|---|
院号 | 常行院 |
寺号 | 香蓮寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 新宿区南元町10-1 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
香蓮寺の縁起
香蓮寺は、紀州藩徳川賴宣に仕えていた阿茶(明蓮社玉誉香蓮尼)が老後に剃髪して出家、開基となり青山に寛永5年(1628)創建、深川靈巌寺で修行していた静蓮社寂誉善了が開山したといいます。寛永12年(1635)当地へ移転しています。
「四谷區史」による香蓮寺の縁起
榮古山常行院香蓮寺は、元鮫河橋にあつて境内五百十坪であるが、内年貢地三百七十五坪、町並借地百三十五坪である。深川靈巌寺末の浄土宗で、寛永五年青山宿で起立し、寛永十二年用地となつて鮫河橋に移轉した。「新寺にて御座候處、元禄五申年五月寺社御奉行本多紀伊守殿御宅に而御免被仰付候」と見えるから、特に免された寺の一である。天明七年青山からの出火に焼失して、文化元年本堂を再建したが、その餘の場所は文政書上の頃は假建であつた。
開山靜蓮社寂譽善了和尚は紀州和歌山の産、深川靈巌寺で修行した人で、元禄十三年十月三日寂した。開基明蓮社玉譽香蓮尼は貞享元年十月廿七日寂したが、俗名阿茶といひ、紀州賴宣駿河在城の時から仕へて和歌山まで供奉し、老後剃髪して香蓮と稱し、庵を香蓮庵と云つた。庵室を一寺となしたき願を立て、新寺ながら賴宣の取立ゆゑに容易に許されて、即ち寺號を香蓮としたのであるといふ。本尊は阿彌陀如来、南龍院高林院以下紀州家代々の位牌を安置し、大納言治寶の實母を送葬したこともあつたが、後紀州へ改葬した。この寺には香蓮菌の逸話があつた。それは紀州家の折助共が名も知れぬ菌を食用して落命すると、必ず此處に葬るのを例としたからであつた。(「四谷區史」より)
香蓮寺の周辺図