正覚寺|新宿区須賀町にある日蓮宗寺院

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妙性山正覚寺|小田原の浪人上野隼人が開基

正覚寺の概要

日蓮宗寺院の正覚寺は、妙性山と号します。正覚寺は、小田原の浪人上野隼人(法名正覺院日明、寛永元年1624年没)が開基となり、元和4年(1618)四谷伊賀町に創建、寛永11年(1634)当地へ移転しました。開山は蓮光院日耀(寛永19年寂)、山号は上野隼人の妻妙性院日如(承応2年1653年没)より付けられたものだといいます。

正覚寺
正覚寺の概要
山号 妙性山
院号 -
寺号 正覚寺
住所 新宿区須賀町14
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 四谷たちばな会館
備考 -



正覚寺の縁起

正覚寺は、小田原の浪人上野隼人(法名正覺院日明、寛永元年1624年没)が開基となり、元和4年(1618)四谷伊賀町に創建、寛永11年(1634)当地へ移転しました。開山は蓮光院日耀(寛永19年寂)、山号は上野隼人の妻妙性院日如(承応2年1653年没)より付けられたものだといいます。

「四谷區史」による正覚寺の縁起

妙性山正覺寺は身延山久遠寺末の日蓮宗で、四谷南寺町にある。境内拝領地四百三十二坪餘、元和四年戊午四谷伊賀町に起立し、「其後年代不知御堀出来に付此地拝領と申傳候」とあるから寛永十一年甲戌の轉移であらう。開山蓮光院日耀は寛永十九年壬午正月九日に寂した。開基は小田原の浪人上野隼人、法名を正覺院日明と云て寛永元年甲子六月十九日に歿した。その妻某法名を妙性院日如と號して承應二年癸巳七月四日に歿した。妙性山正覺寺はやがて夫婦の法名を取つたものである。(「四谷區史」より)

「四谷南寺町界隈」による正覚寺の縁起

日蓮宗、房州小湊誕生寺末。書上げには身延山久遠寺末とあるが現在は小湊末となったのであろう。妙性山という。
起立は元和4年(1618)戌年四谷伊賀町に起立し、その後年代知れず、お堀出来に付此地拝領と申伝え候、とあれどどこの辺の寺は皆外濠開削のため寛永11年に現地に移されたので、やはり同年であろう。
開山、蓮光院日耀は寛永19壬午正月9日に入寂した。開基は小田原北条氏の浪人で上野隼人といい、法名を正覚院日明といった。寛永元年甲子6月19日に歿していて、その妻の法妙は妙心院日如と号し、承応2年(1653)癸巳7月4日に歿している。妙性山正覚寺の名はこの夫婦の法名をとったものである。
寺宝としてはすべて戦災で失ってしまったが、その後復興しつつあって、過去帳は焼けなかった。
名墓としては、狂歌師だった橘屋長右衛門、狂歌名、福隣堂鈴成、奥山氏の墓があったが無縁になって今はない由。天保7年4月10日歿。年85.浄昌院敬信日受居士。(四谷南寺町界隈より)


正覚寺の周辺図