天谷山南蔵院|御府内八十八ヶ所霊場
南蔵院の概要
真言宗豊山派寺院の南蔵院は、天谷山竜福寺と号します。南蔵院は、牛込城主の牛込勝重が正胤法印に請い、吉祥山福正院と称して、早稲田に創建、弁財天二体を上宮・下宮として祀っていたといいます。御用地となったため、延宝9年(1681)上宮と共に当地へ移転、天谷山竜福寺南蔵院と改号しました。もう一体の下宮は弁天町の宗参寺に祀られ、弁天町の起源となったといいます。御府内八十八ヶ所霊場22番です。
山号 | 天谷山 |
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院号 | 南蔵院 |
寺号 | 竜福寺 |
住所 | 新宿区箪笥町42 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 神楽坂霊園受付 |
備考 | 御府内八十八ヶ所霊場22番 |
南蔵院の縁起
南蔵院は、牛込城主の牛込勝重が正胤法印(寛永7年1630年寂)に請い、吉祥山福正院と称して、早稲田に創建、弁財天二体を上宮・下宮として祀っていたといいます。御用地となったため、延宝9年(1681)上宮と共に当地へ移転、天谷山竜福寺南蔵院と改号しました。もう一体の下宮は弁天町の宗参寺に祀られ、弁天町の起源となったといいます。
「牛込區史」による南蔵院の縁起
天谷山龍福寺南蔵院 智積院末
元和初年、早稲田在辨財天上宮(今の辨天町ででもあらう)の別當として、正胤法印開山、寺號を吉祥山福正院と云つたが、延寳九年箪笥町に移り、寺號を改めた。開山法印正胤寛永七年二月廿九日遷化。舊境内拝領地八百三十八坪三合餘、年貢寄進地二百三十五坪。本尊辨財天は弘法大師の作といひ傳ふ。
寺中安養院
同上薬王院(「牛込區史」より)
御府内寺社備考による南蔵院の縁起
京都大佛智積院末 牛込御箪笥町
天谷山竜福寺南蔵院、境内拝領地838坪3合余外年貢寄進抱地235坪
当寺開闢之儀者元和の初年下総国香取妙幢院正胤法師武蔵国牛込之領主何某請ふより同国豊島郡早稲田の里ニ褐をとて契上宮下宮乃二宇を造立し弁財天二体を勧請し正胤法師上此宮を別当し吉祥山福正院といふ。其後第四世日胤代延宝9辛丙年月日不知右地所御用地ニ付召上替地として南吋之地所を拝領仕以地名を蟇谷といへるより利上支当当所を称し天谷山南蔵院と改む。下の宮弁天猶内地ニ安置之弁天町基なり。(御府内寺社備考より)
南蔵院の周辺図