和泉熊野神社|杉並区和泉の神社

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和泉熊野神社|鎌倉時代創建、旧和泉村の鎮守

和泉熊野神社の概要

和泉熊野神社は、杉並区和泉にある熊野神社です。和泉熊野神社は、文永4年(1267)に創建されたと伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守でした。明治7年に村社に列格しています。

和泉熊野神社
和泉熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 天御中命、伊弉諾命、伊弉冉命
相殿 -
境内社 北野神社(菅原道真公)、御嶽神社(日本武尊)、山神社(大山衹神)、稲荷神社(豊受比売神)
祭日 例祭日9月第2日曜日
住所 杉並区和泉3-21-29
備考 旧永福寺村鎮守、村社、旧別当:龍光寺、境外末社:貴船神社、くまの幼稚園併設



和泉熊野神社の由緒

和泉熊野神社は、文永4年(1267)に創建されたと伝えられ、江戸期には別当龍光寺で和泉村の鎮守でした。明治7年に村社に列格しています。

杉並区教育委員会掲示による和泉熊野神社の由緒

当社は旧和泉村の鎮守で、現在も「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれています。祭神は天御中主命・伊弉諾命・伊弉冉命で、明治7年には村社となっています。
社伝によれば、文永4年(1267)に紀州に熊野神社の分霊を祀ったのが当社の創建で、弘安7年(1284)に社殿を修造し、その後北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大いに社殿を修めたと伝えられています。
江戸時代には寛永16年(1639)と元禄9年(1696)の両度にわたって社殿の改修をおこなったことが、棟札によってわかります。現在の社殿は文久3年(1863)の造営で、明治4年に修覆したものです。「新編武蔵風土記稿」は、江戸時代の当社について「除地300坪、村の北の方にあり、屋2間四方、本社5尺四方、拝殿2間半に2間、社前に木の鳥居を立」と述べています。
当社の境内からはかって縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器なども出土しており、古い時代から人々が、この地で生活していたことがわかります。また境内には徳川家光が鷹狩りの途中に休息し、その時に手植えしたと伝えられる松の大木もそびえています。
例祭日は9月第2日曜日です。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の神社」による和泉熊野神社の由緒

当社は「新編武蔵風土記稿」多摩郡和泉村の条に熊野社とあって「除地、300坪、村の北の方にあり、上屋2間四方、本社5尺四方、拝殿2間半に2間、社前に木の鳥居を立、例祭は年々9月29日、村内龍光寺持、以下2祠(与喜野天神社・貴船社)も同寺の持」とある。当社は文永4(1267)年の創建と伝えられている。古社であることは、かって境内から縄文時代後期の土器・打石斧・石棒が、また古墳時代の土師器が出土したことでもわかる。また村内から文明2(1470)年の板碑も出土している。明治7年4月に村社に列している。(「杉並の神社」より)


和泉熊野神社の周辺図